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ファーストネーム呼びの黄色い先生

かれこれもう六年も前だ。高校二年生に進級した春。一年生の秋口に二年次の文理選択が決定し、新しく文系クラスが創設された春だ。

僕が通っていた高校はマンモス校だったけど、その分「コース」が細分化され、所属していたコースは三クラスしかない。そのうち理系が一クラス、文系が二クラスである。理系の人たちはクラス替えの前にクラスメイトを知ることになるため、あの「ドキドキ感」を味わうことはできない。一方僕たち文系は二クラスに分かれるから、クラス替えのドキドキを体感できた。

しかしその不安と期待が入り混じったドキドキ感は一瞬で終わりを告げた。僕は二年三組の名簿に名前があって、仲の良い友人達の名前を探す。
「一緒だ!」
「離れた!」
僕以外の生徒たちも、皆その言葉しか知らないみたいに騒ぐ。

実際に一年生から仲の良い友人と、一緒に切磋琢磨しあう部活の友人とクラスメイトになった。もちろん、一年生のときに仲良かったが離れた友人もいる。それでも、嬉しかった。なんて素敵なメンツなんだ。このクラスメイトと残り二年間を共にする学校生活に期待を抱いていた。

ただし、問題もある。担任の先生である。一年生のときの担任は素敵な国語科の男性教師だった。彼のおかげで苦手だった国語が好きに、得意になった。彼がまた担任であれば、「最高」のクラスが完成する。

だが、人生そう上手くいかないもので、その先生は隣の文系クラスの先生になった。残念極まりなかった。

僕らの担任の先生はというと、全く見たことも聞いたこともない女性の先生だった。黄色い服を着ていて、明るくも暗くもない茶髪を後ろで結んでいる、若い先生だ。

そんな黄色い先生が教卓の前に立ち、最初に話したことは「何事も本気で取り組まない人間は支援しない」という内容だった。

顔と声にギャップがある。少しハスキーで胸に刺さるような声だった。

黄色い先生は僕らを脅すように話した後で、最後に出席をとる。
「カシワキくん、サイトウくん、フナバシさん…」
相変わらず、ちょっとハスキーでちょっと胸に刺さるような声だった。

その日は始業式だったから、出席が終わったあとはすぐに解散となった。黄色い先生が教室を去ってから、僕は部活のソールメイトと話した。
「あれは、アタリかハズレのどっちかだね」

翌日の朝、下駄箱にローファーを入れて少し汚れた上履きに履き替える。下駄箱の位置も慣れないから、下駄箱の上部に書かれた自分の名前をよく確認してからローファーをそっと入れる。一年生とは違う教室だから、二年三組の教室の匂いに違和感を覚え席についた。

「おはよーう」

黄色い先生が入ってきた。昨日は険しい顔で僕らを脅していたのに、一変して笑顔である。僕たちは口を余り動かさず、且つ低く張りのない声で作業のように挨拶を返した。

先生は教卓に立って、全員出席しているのを確認した。今日の主な流れと留意すべき情報を先生が言った後だった。

「ヨシキ〜、号令終わったら来て〜」

昨日とは打って変わってファーストネームである。本当に昨日の黄色い先生なのか目を丸くして見た。確かに、昨日とは服が違く、黄色い先生とはいえ青いブラウスを着ている。だが、相変わらずちょっとハスキーで胸に刺さるような声を持ち合わせていたから、この先生で間違いなさそうである。

にしてもいきなりファーストネーム呼びである。ヨシキは先生から何か書類をもらった後で、僕らはヨシキに尋ねた。

「ヨシキ、黄色い先生と昨日の夜、何かしたの?」

高校生の悪ノリである。まったく、思春期だ。

もちろんヨシキが先生と一晩過ごしたということもなく、先生は帰りのホームルームで書類を配る際、僕たち全員をファーストネームで呼びはじめた。

僕ら生徒はファーストネームで呼ばれることで先生との距離はどんどんと近くなった。もちろんファーストネーム呼び以外にも、先生は文化祭に本気で協力してくれたり、教科の質問をしたら理解できるようになるまで親身に、寄り添って教えてくれた。でも、先生は先生。黄色い先生はいつまでも先生だ。黄色い友達ではない。

僕は黄色い先生が先生として、大人として、人間としてすごく好きだった。僕の将来や進路のことはもちろん、恋愛の相談まで乗ってくれた。はじめて女の子と二人で下校するとき、たまたま先生が校門の前にいて小さくガッツポーズをしてくれたこと。修学旅行で僕たちを見守ると同時に一緒に楽しんでくれたこと。怠惰な生活を正面から指摘してくれたこと。常に寄り添ってくれた。指摘された瞬間は「ウザい」と思ったが、今思うとあの指導がなければどんどんと弛んだ高校生活になっていたはず。

アタリかハズレかで言っても「大当たり」だった。

黄色い先生は僕たちが卒業する春まで一緒にいてくれると思った。しかし、二年生の終わり頃だった。彼女は突然、結婚を理由に教師を辞めるとクラス全員の前で告げた。嘘だと思ったし、そう思いたかった。

僕は先生から苦手な英語を教えてもらい成績が上がった。そのときに一緒に喜んでくれた黄色い先生。恋愛相談を何度もしてくれて、実際、僕に彼女ができたとき一緒に喜んでくれた黄色い先生。今度は僕が一緒に喜ばないといけないのに、素直に喜べない。

あと一年待って欲しかった。どうして僕たちが卒業するまで……  どうして結婚をしたら先生を辞めるの。どうして。そんな自分語りで自分しか見えない高校二年生の僕は、先生が学校を去ることが無念で無念でならなかった。

一年しか一緒に過ごせなかった僕の憧れの先生。黄色い先生みたいに、先生みたいな人間になりたい。黄色い先生に予てから相談していた教師という道。僕は迷わず教育学部の大学へ進学をした。昔からぼんやりとあった教師という夢は、黄色い先生と出会って霧が抜けるように明確になった。

入学式で黄色の服を着ることはおそらく無さそうだが、僕だって黄色い先生のように、そんな先生に、そんな人間に——。あの先生みたいになる。僕は先生との思い出と重い教科書を背負って今日も大学へ行く。


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