12. ローカルバス2回乗り継ぎ8時間耐久戦
現地人の乗車率がほぼ100%のスリランカのローカルバスは、意外にも心地良い場所だった。その心地良さを引き出しているのは何かといえば、それは窓からビュービューと吹き込んでくるセイロン島の湿った風とあたたかな人の笑顔であった。
僕がこの国を愛してやまない理由は人がとてつもなくあたたかいことだろう。
どこを歩いても、どのバスに乗っても、人々は僕の方へ可愛らしい笑顔を見せるのである。それは、外人という物珍しさからくる視線なのだけれども、マクドナルドのハッピーセットに玩具が必ずついてくるように、必ず笑顔がセットなのである。
僕がセイロン島で過ごしていた日々はそれが日常になってしまった。帰国し、JR東海道本線で自宅へ帰る折のこと、しかめっつらになってスマホに夢中の日本人たちを見てがっかりしたとき、スリランカに溢れるあの笑顔が恋しくなった。
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まずは今いるシーギリヤからダンブッラまで向かう。「ローカルバスなら1時間ほどである」とホテルのおっちゃんが話していたが、発展途上国における約1時間というのは2,3時間くらいになることも往々にしてあり得ることだ。
しかし、スリランカでバスが遅延するなんてことはこの旅の中で一度もなかった。理由は単純である。
動物界のヒエラルキーの頂点が人間なら、ここスリランカにおける交通界のヒエラルキーの頂点はバスであるからだ。バスだけは速度制限なんてものはないのではないかと言わんばかりのスピードでどんどんとバイクや車、トゥクトゥクを片側一車線の道路だろうがお構いなしに追い越していく。
一般道路でも高速道路並みに飛ばすバスが来れば、街ゆく自家用車たちは先に行ってくださいと、車線の端に車を寄せるのである。まるで救急車に乗って旅しているかのような錯覚に陥る。
無論、救急車のような「ピーポーピーポー」のサイレンはないが、その代わりというのか、車内にスリランカPOPが爆音で流れているバスが多い。バスのシートの上にある荷物棚のところに、大きなスピーカーが積んであり、そこから爆音が流れているのだ。
軽快なリズムとJPOPではありえない得体の知れぬ楽器を使ったサウンド。何を言っているのか分からぬシンハラ語の歌詞。この曲がスリランカで有名なのか否かも分からない。もしかしたら運転手の勝手な趣味で、80sの楽曲の可能性だってあるわけだ。
車窓はシーギリヤの森林から徐々に市街地の景色へ変わる。ノリノリのスリランカPOPやバラード調の曲を聴きながら、移りゆく景色をただひたすらに、ぼっーと眺めている時間は今思えばかけがえのないものである。
僕の隣に座っていた乗客のおじさんから、ダンブッラに着くぞと教えてもらい、一番栄えていると思われる場所で降りた。ここからコロンボ行きのバスが出ているから、それに乗り換えなければならないのだが、見渡す限りそこにあるのは僕がさっきまで乗っていたバス一台だけである。
参ったなあ。コロンボ行きのバスはどこにあるのだろうか。僕にダンブッラの到着をリマインドしてくれた彼も同じく降車したので、彼にそのバスがどこにあるかを聞いてみる。
彼は涼しい顔で、「そのバス停ならもう通り過ぎてしまったよ。ここから歩いて10分くらいじゃないかな」と言う。
まあ10分なら耐え。彼曰く、バスで来た道を戻ればいいらしい。僕は彼に礼を告げて、トゥクトゥクとバイクが行き交う車道を立ち止まらずにゆっくりと渡った。はじめてタイへ訪れたときは交通量の多い信号のない交差点をどうやって渡るのか困惑していたが、アジアを旅する経験が蓄積されると全く抵抗なく渡れるようになるのだから不思議だ。コツはゆっくり歩くこと。トゥクトゥクとバイクが勝手に避けてくれるから、いかに相手を信じれるかが鍵になる。
反対車線に出て、ひび割れたアスファルトが永遠と続く歩道を歩くこと10分ほどでコロンボ行きのバスを見つけた。スリランカのローカルバスは意外にもその行き先を見つけるのが簡単で、日本国内のバスよりも容易であると思っている。というのも、バスには大抵、ドライバーと運賃を回収する人間が1人ずつおり、後者の人間がバスの前に出て行き先を連呼しているのである。
まるで10回クイズをしたときの、適当な早口で「コロンボォーコロンボォーコロンボォーコロンボォー」と連呼しているのである。僕は、「じゃあここは?」と自分の肘を指差したくなる衝動を抑えてバスに乗車した。やはりエアコンのない、窓ガン開きのバスで、相変わらずスリランカPOPが車内にこだましている。
僕が乗車したタイミングは割に早かったのか、空席が目立っていたから、空いていた窓際の席に腰掛けた。僕の前にすでに座っていたスリランカ人の若い男が僕をチラっと見て、「ハーイ」と言って微笑んでいる。
「このバスってコロンボ行きだよね?」
念のため聞いてみる。もしかしたらあの連呼された「コロンボォー」を僕が聴き間違えている可能性だってある訳だ。
「イェア!コロンボ、行くよ」
その一言で安心した。これであとは思考停止でもコロンボへは行けるのだ。
「ありがとう。ちなみにコロンボまでの運賃っていくらかな?」
ぼったくられないようにするためには予めそこにいる現地人に聞くのが正攻法である。運賃回収の人間は外国人という理由だけで正規の2倍くらいの値段でふっかけてくることがある。
彼は天井を見上げ、5秒ほど脳内で計算して、「650ルピー」と笑顔で答えた。噂によるとコロンボまでは5時間の長旅になるのだが、それでいて300円という価格には相変わらず驚く。ありがとうと彼に言うと、どこから来たの?などなど恒例の質問をされ、しばらくの間談笑をした。
車内が満員になってバスが動き出す。教室の前後で雑談をしていたら先生に注意をされたときみたいに、発車のタイミングで僕たちは会話をやめた。
座れずに立っている現地人も多くいて、満員差し詰めの中バスはダンブッラの街を駆け抜ける。
窓際に座ったこともあって、台風並みの強風が肩から上を吹きつける。これほどの威力があるドライヤーがほしいと思うほどの強風である。髪の毛は風によってずっと暴れている。今ならスーパーサイヤジンになれると、厨二病的になるのはこの強風が生み出した副作用だ。
このバスでも爆音で流れるスリランカPOPを聴きながら、吹きつける強風に目を細めて車窓を眺めていると1時間、2時間と時間が進んだ。そしてある時気づく。これ窓、閉められるんじゃね?
マックスで開けていたから強風が顔面に直撃する2時間を過ごしていたが、窓を閉められることに気づき、風の調整を試みる……おお、いとも簡単にできるではないか。気づくのが遅すぎた。そこからは適度な風が入ってくる心地よい車内に変身し、風の音も最小限になったからスリランカPOPももっとしっかり聴こえるようになった。
しばらく走行していると、バスが砂利の駐車場のような場所に停車した。
前に座っていた、もう友達同然の彼が「ブレイクタイム」と教えてくれた。とはいえそこにコンビニなどはなく、薄暗く、決して清潔とはいえないお手洗いがあるだけである。先も長い。行っておこうと思い、2,3時間ぶりに外へ出る。
同じような赤色のバスが何台も停まっているから、間違えないようにスマホでバスのナンバープレートの写真を撮っておく。
外は小雨が降っていて早足でお手洗いへ向かい、また早足でバスへ戻った。
再び発車したバスからの景色は時間が経つごとに椰子の木から街並みに変化していく。Googleマップを見ても、コロンボの市街地へ近づいていることがよく分かる。
コロンボ内のバスはスリが多いことで有名なので、この辺りから僕は警戒心を強めた。それまで床に置いていたリュックを膝の上に乗せて抱き抱えるようにして時が過ぎるのを待った。
途中のバス停で、僕の隣に座ってきた中学生くらいの女の子がシンハラ語で携帯電話に向かって控えめに電話をしていたから、「ボーイフレンド!?」と、一歩間違えればセクハラ的な声かけをしたこともあった。ちなみに彼女はにこやかな笑顔で「マミー」と答えた。その女の子とも簡単な会話をしたから、この旅は一人旅であって一人旅でないような、そんな感覚さえ覚えた。
結局、ダンブッラからコロンボのバスターミナルまでは5時間であったがまったくもって退屈ではなかった。
しかし、これでバスの旅が終わったわけではない。今度はこのバスターミナルでヒッカドゥワ行きのバスに乗り換えなくてはならない。
コロンボでこのバスを降りる際、ヒッカドゥワ行きのバス停はどこかを運転手に聞く。ずっと向こうだよ、と指を刺して教えてくれたのでその方向に向かって歩いた。
「どこ行くのー?」
スーツケースをガラガラと引いて歩いていると、スリランカ人に声をかけられた。
「ヒッカドゥワ!」
「ヒッカドゥワはそこのバス停だよ」
スリランカ人はやはりいい人が多い印象である。こうして聞いてもいないのに教えてくれるのだ。
コロンボのバスターミナルはすこぶる広いこともあって乗り換えに関しては不安だったがすぐにヒッカドゥワ行きのバスは見つかった。
「ヒッカドゥワ行く?」
僕はバスの前に立っている集金人らしきおじさんに聞くと彼は頷いてバスの扉を開けた。
バスはスリランカにしては珍しいACタイプで、先程のバスとは違って窓は閉まってエアコンからぬるい風が吹いている。
気温はタイのバスみたいにベラボーに寒い訳でもなく終始やや暑いかなというくらいであった。
バスは明らかに新しめではあるので過ごしやすいといえば過ごしやすいのだが、その分料金も割高。バスが発車してから僕は集金人のおじさんに「1570ルピー」と言われたので、驚いて「それってローカルプライス!?」と確認したが、ああそうだと彼は強気だった。高いといえど2時間で800円とかなので普通に安いっちゃ安いのだが。
異なるのはエアコンがついていることと割高なことの他にもある。それは超絶スピードを出すことである。
それまで乗ったバスも当然のことながらものすごいスピードだったが、このバスに関しては急発信、急停止するスリリングなアトラクションであった。
ディズニーランドでアトラクションに乗って、なんか満足しなかったなという人はUSJに行くのではなく、スリランカのバスに乗ることをおすすめする。
この尋常ではないスピードのバスに乗ってしまえば、日本で走る「高速バス」は今すぐにでも改名した方がいいのではないかという錯覚に陥る。
ちなみにこんなに速いのに、シートベルトはない。事故ったら確実に死ぬ。どうか無事に着いてくれ!僕はGoogleマップで現在地とヒッカドゥワの降りるバス停との距離がどんどんと短くなっていくのをじっーと見つめ、車窓から見えるインド洋を眺めることを繰り返していた。
途中、お寺をバスがすごい勢いで通ると、僕の前に座っていたおじさんがお寺の方向に向かって目を瞑って合掌をしていた。何かを祈っているのだろう。それは家族の健康なのか、仕事が軌道に乗りますようになのか、カープが優勝しますようになのか、何なのかは聞いてみなければ分からない。が、多分「このバスが事故りませんように」という願いであったのではないかと思う。
あとはこのバスの集金人のおじさんも今まで乗ったバスとは傾向が異なる。バス停に停まると手動の扉を開けて降りる乗客の肩を結構強く押して早く出ていくようにせかせかしている。
そのときに毎度「ハリアー!」と言って降ろすのだが、この「ハリアー!」というのは「Hurry up !」と言っているのだろうか。シンハラ語で「毎度あり!」的な意味であると捉えたいのだが、何度聞いても「ハリーアップ」にしか聞き取れなかった。
バスは事故らず、反対車線から数え切れないほどの乗用車を抜かしてヒッカドゥワのバス停の近くまで来た。
集金人のハリアーおじさんが僕のところへ来て、「ヘイ、ヒッカドゥワ!」と教えてくれる。僕は荷物を持って扉付近まで行く。バスは完全な停車をしない。おじさんが扉を開く。
「サンキューババーイ!」
僕がそう別れを告げると、彼は無表情で「ハリアー」と言って僕の肩をポンっと押した。
スリランカで唯一生き急ぐバスはまたすごい勢いで海岸線に沿って走る。その姿はあっという間に消えていった。あのスピードを見れば、やはり、おじさんが言っていたのは「ハリーアップ」な気がする。
ヒッカドゥワに着いた頃、辺りは夕暮れ時だった。しかし曇りで夕焼けはお預け。ヒッカドゥワビーチの海の香りが漂うバス停から、僕は5分ほど歩いてホテルへと向かった。
つづく!
「押すなよ!理論」に則って、ここでは「サポートするな!」と記述します。履き違えないでくださいね!!!!