見出し画像

幸せな食あたり

僕が小学生高学年だったときの話だ。何ら変わりのない朝が来て、いつも通り顔を洗い、服に袖を通す。父と母に「おはよう」とあいさつをしてから学校の支度を済ます。いつもと同じ朝だった。ただその日イレギュラーだったのは、弟が体調不良でリビングへ起き上がってきたことだった。

そのとき弟は小学一年生か幼稚園生くらいだったと思う。僕より早起きの弟がいつも先に朝食をとるのだが、めずらしいことに彼の大好きな「ふんわり食パン」を一口食べて食事を終了していた。どうやら朝から気持ちが悪かったようで、食事がいっこうに進まず、結局食パンをひとかじりで限界だったらしい。

僕は食パンに対してのこだわりはないため、いつも安めの食パンを食べていた。一方で弟は(生意気なことに)食パンに対してのこだわりが強く、柔らかくて白い「ふんわり食パン」しか食べないのである。

だから、ふんわり食パンとは弟専用の食糧であり、僕がそれを食べることは許されなかった。そのふんわり食パンを食べる機会は賞味期限が過ぎてしまって早く消費したいときくらいで、めったに食べることができないのである。

弟が一口食べて残した食パンが、テーブルの上にぽつんとかわいそうに置いてある。今は人の口づけの食べ物に対して抵抗はほとんどないが、当時の僕は極度の神経質。友人の家で出された飲み物も、コップに口をつけたくなくて手をつけなかったくらいだ。しかし、このときは違った。めったに食べることのできない、純白のふんわり食パンを賞味期限内で食べることができる。一口分欠けているのは少し不格好ではあるものの、メルカリでいうところの「未使用に近い」状態であるから、これはお得。実にラッキーであった。

すかさずその食パンを堪能した。食べかけになっていない、まだ新品未使用状態の角からかじる。うむ、いつもと違う柔らかな食感。ジャムやピーナッツバターをつけていないのに、口に広がる甘いやさしい味。非日常の体験はすこぶる幸せである。ふんわり食パンの幸せをかみしめながら咀嚼しているうちに、とうとう食べかけゾーンにたどり着く。そこだけピックアップすれば、「やや傷や汚れあり」といったところだろう。いや、それは家族という色眼鏡をかけたものであり、他人の食べかけだったら「傷や汚れあり」だし、よくこの状態で売ってきたものだとクレームを通り過ぎて関心してしまうだろう。

ここで食べるのを辞退することもできるのだけれども、もう少しふんわり食パンを堪能したかった。だから僕は食べかけの食パンを迷わず食べることにした。その部位の味は変わらないはずなのに、気持ちの問題なのか、少しだけ苦く感じる。まあ、気のせいだろう。気にせずゆっくり咀嚼して飲み込んだ。

その日、弟は学校を休んだ。それほど重症化はしなかったが腹痛がずっと続くようなので、大事を取ってお休みしたのである。弟には気の毒だが、いつも食べることのできないふんわり食パンを食べられたから、そこのところはありがとうと、僕は内心感じていた。



僕は小学生のとき、プロ野球は読売巨人軍をひいきにしていた。熱狂的カープファンになってしまった今では考えられないが、ジャイアンツに入団することを夢見ていたし、橙色の選手たちは常にあこがれの対象だった。

弟の食べかけ食パンを食べた翌日のことである。
僕は学校へ行った後、午後に熱海へ行く予定があったのだ。ジャイアンツの当時の主力だった小笠原や今も活躍する坂本といったスター選手たちが熱海の後楽園ホテルに訪れるというのだ。しかも、母の知り合いが僕に小笠原や坂本と会わせてくれるかもしれないらしい。僕はその日を待ちわびていた。何としてでも会って、サインをもらおうと意気込んでいたのだ。

しかしその日を迎えると、なぜか朝から気持ちが悪い。吐き気がするのだ。お腹も少し痛い。なぜだろう。その原因を考えると、あのふんわり食パンが浮かんでくるのである。

あのふんわり食パンを通じて弟の腹痛が伝染したのか。されど、ふんわり食パンを間接的にシェアしただけで病が伝染するものなのだろうか。いや、原因を考えても無駄である。僕は平然を装って朝の支度をいつも通りはじめた。絶対に小笠原に会いたい。会って太い太ももを崇拝したい。その一心で朝、両親の前でポーカーフェイスを貫いた。

いつも通り服に袖を通して、おはようと言って、朝食の席につく。しかし気持ちが悪すぎる。食事が喉を通る状態ではない。だが、ここで食べなければ学校を休まされ、夢の巨人軍とも会えぬ。

ああ、食事が憂鬱だ。何が出されるか考えたくもなかった。朝食で出されたのは、ふんわり食パンだった。何故今日に限って、と思う。

体調を怪しまれたくないので出されたものは食べなくてはなるまい。喉を通りそうもない状況であったが、小さく一口かじる。まずい。何なんだ、これは。ゴムのような人工物を口に入れているような感覚だった。昨日食べたふんわり食パンとはまるで味が違う。

次の一口でリバースすると確信したから、「なんか今日、お腹いっぱいだわー」と母に言う。母は心配していたが、まだ僕が吐き気を催していることには気づいていない。顔色のことを少し言われた気もするが、なんとか山場を乗り越えた。一口だけかじられたふんわり食パンは皿の上でポツンとかわいそうにたたずんでいた。

僕は体調が悪いながら、おもむろに自分の足で学校へ向かう。吐き気で思うように前に進まず、いつもの倍ほどの登校時間を有した。だから、その日は遅刻した。その学期、初めて遅刻した僕は先生に異変を察知されてしまう。

「斉藤、おまえ顔色悪いぞ。どうした?」

「いや、顔色悪くないです」と、自分の顔を鏡で見てもいないのに、とっさにそう答える。

「おまえ、いいから保健室行って来い」
先生にはバレバレだったようだ。実際足元はフラフラしていたし、普段教室でうるさい僕が朝から何も話さないとなると、それはさすがに異変を感じるか。

僕は保健委員に連れられて保健室で仰向けになった。そしてもう負けたわという敗北宣言なのか、リバースしてしまった。結局学校を早退することになり、母が車で迎えに来る。リバースした後も腹痛は続いていたし、足元はフラフラだったから、熱海に行くことができなくなってしまう。巨人軍と会う夢、ここに破れたり。その夢は僕の嗚咽と共にはかなく散ったのであった。

けれども今の僕というのは、まあ訳ありまして大のカープファンになっている。もしあのとき巨人の選手に会っていたら、それこそ小笠原の太ももへの感動で、「一生ついていきます」と言わんばかりの熱狂的な巨人ファンになっていたかもしれない。つまり僕が現在カープファンであるというのはこういった経緯を経ているからであろう。塞翁が馬と言いたいところだが、巨人も強いし、育った選手が他球団に渡り歩くこともまずないからジャアンツファンというのは幸せだと思う。

僕はといえば、弱くても、負けてもカープの応援をすることはとても楽しいから、カープファンになってよかったと心から思っている。

もし弟の病がふんわり食パンを通じて伝染したのなら、弟にも、ふんわり食パンにも感謝しなくてはならない。まさに結果オーライである。僕は本塁でタッチアウトを喰らったが、犠牲フライを打ってくれた弟に謝謝。

【追記】
現在、優勝争いをしているカープと巨人には目が離せませんね。あのときふんわり食パンを最後まで食べたことが正しかったのか間違っていたのか、その答え合わせは9月です。



この記事が参加している募集

「押すなよ!理論」に則って、ここでは「サポートするな!」と記述します。履き違えないでくださいね!!!!