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シャボン玉おじさん

僕はものすごく懐疑的な子どもだった。「知らない人にはついて行かない」という教えを忠実に守っていた。

それでも一度だけ知らないおじさんとシャボン玉で遊んだことがある。

小学5年生になって、家へ白と茶色の小さいビーグル犬がやってきた。10年経った今も元気に暮らしている。

その犬の散歩は決まって自宅からほど近い河川敷だ。金八先生が歩いていそうな河川敷の土手の上を犬と並んで歩いた。右手にリードと糞袋を持って。

その頃は小学校低学年の弟とともよく散歩へ行ったものだ。今では一緒に散歩へ誘っても返事すらない。

僕たちは小学校から帰宅した午後、いつものように日が西へ傾いたその時間に散歩へ出かけた。

いつもの河川。水量はなんら変わりないように見える。土手の上からは野球グラウンドが一望できる。ほんのり赤く、橙色の日が西から僕らを照らして影ができた。いつもの道。真っ直ぐ続く土手の上を歩いた。

しかしいつもと違う光景がそこから見えた。

シャボン玉。土手の下の芝生から無数のシャボン玉が作られ、風に流される。そのシャボン玉は今まで見てきたものより遥かに大きい。連れている犬の頭はおろか、弟の頭よりも大きいのである。

僕らは土手の上で立ち止まって、大きなシャボン玉が風に揺られ弾けるその瞬間までを見守るようにして眺めた。

シャボン玉の一生は儚い。牛乳の消費期限よりも、地中から出てきた蝉の一生よりも寿命が短い。

しかし、優美であった。透き通ったシャボン玉のその先も、なだらかな曲線が見える。何の化学物質かは知らないけど、シャボン玉が太陽に反射して淡めの虹色が光っていた。

「おーい、やってみるか」

どれほど土手の上で立ち尽くしたかはわからない。そんな僕らを見かねたシャボン玉づくりをしているおじさんが声をかけてきた。

頭では無視しなければならないと分かっていたものの、シャボン玉を作る人に悪い人はいないだろうといった危険なバイアスで僕たちは勢いよく土手を下った。

おじさんは何を話すということもなく、膜の破れた金魚掬いの掬うやつみたいな形をした道具を渡してきた。拡大鏡のレンズを無くしたやつと言った方が分かりやすいか。

彼はその道具を青いバケツの中にある液体へ通し、空中へ振り上げる。たちまちシャボン玉が作られ、空に舞う。空中で弾ける。

僕たちもおじさんを真似るようにして、青いバケツに道具を突っ込み、左手を振り上げた。

大きい。これまで作ってきた何よりも大きなシャボン玉が飛んだ。僕らはたちまち楽しくなって、シャボン玉が赤い夕日に照らされるまではしゃいだ。

もっとずっとシャボン玉を飛ばしたかったけれど、遅く帰ったら母に怒られるから適当な理由をつけて僕たちは帰ることにした。

おじさんは笑顔で手を振った。

次の日も僕らは河川敷へ足を運んだ。その日はいつもより早足で学校から家へ帰った。帰宅後すぐに犬を抱く。おじさん、今日も大きなシャボン玉を飛ばしているのだろうか。

いつもの土手を、いつもより飛ばして歩く。土手から河川敷を見る。おじさんはいなかった。

今日は仕事だったのかな、明日は来てくれるでしょう。そう思っていたが、それから今に至るまで、河川敷でシャボン玉を飛ばすおじさんの姿を見たことがない。

ときどき、あれは夢だったのかと思うことがある。しかし、犬の散歩が長く心配した母にこっ酷く叱られた記憶があるから、きっとあれは現実だ。

おじさんは今もどこかで大きなシャボン玉を飛ばし続けているのだろうか。大きなシャボン玉が風に揺られて土手を昇っていく。そんな妄想を膨らませながら、大学3年になった今も、右手にリードと糞袋を持って土手をまっすぐと歩く。


「押すなよ!理論」に則って、ここでは「サポートするな!」と記述します。履き違えないでくださいね!!!!