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少年の一礼

単純作業ほどつまらない仕事はない。これは一般論というよりは、僕自身向いていない性格なのだと思う。人と話している時間はあっという間に過ぎるというのに、単純作業をしている時間ほど時の流れを刻一刻と肌で感じることはない。そして何より人との関わりを持たぬ退屈な業務内容であると思えてならない。だが、そんな単純作業でも人から感謝をされたことがある。

僕自身まだ学生の身で——といっても学生起業をする人間もいるのだから言い訳がましくなるが、アルバイトでしかお金を稼いだことがない。アルバイトにできることなんて一部の特殊な業種を除いては、基本的に単純作業そのものになることが多い。かくいう僕も単純作業をしてその対価を得る人間の一人だ。そこそこ大きな靴屋さんでお客様へサイズを出し、乱れたシューズの箱を整える。

お客様が希望のサイズを出すことは幾分か単純作業的な要素を含むものの、「一緒に選ぶ」という視点に立てば直接的に「人の役に立った」と思える仕事である。実際に、サイズ感以外にも用途と機能性、予算、足幅を考えて一人一人の足に合った靴を選ぶ手助けを心がけた結果、心から感謝されることは少なくない。そのやりがいあってか大学一年生から四年生になった今日まで続けられているかもしれない。

それに比べて、お客様がセルフで手に取ったであろう乱れた靴箱をサイズ順に並べたり紐を整えたりする「単純作業」はやりがいを全く感じなかった。誰から感謝されるということもないし、お客様に対して直接的影響を与えられないから、人の役に立っているという実感はない。業務の内だから、と淡々と紐を結び箱を並び替え見目よくする。数時間後にはまた乱れる。そして整える。その繰り返しだった。

ある日のこと。また例のように乱雑に置かれた箱をあるべき位置に戻し、ぎゅるぎゅるに絡まった紐を正していたら、僕の向かって左の方から視線を感じた。そこにはこちらをじっーと無言で見つめる中学生くらいの少年の姿があった。

こういうとき、だいたいはサイズを出して欲しいとかお取り寄せができないか相談したいとか、サイズ感を見てほしいとか、僕に何かしらの用があることが多い。

しかし少年は頑に口を開く気配はなく、直立不動でこちらを見つめている。少年は僕に話しかけづらいのか、僕は彼に声をかけようとしたとき父親らしき人間が彼へ近づいた。

「何ボケっと突っ立てんだよ」
と父は彼に言う。物腰柔らかな表情で仲良さげなお笑い芸人のツッコミみたいなテンションだった。

「いや、すごいなと思って。いつも試着するときに靴が綺麗に整えられてるのって店員さんのおかげなんだね」
少年は感嘆したようにゆっくりとそう返答した。

僕はその言葉を聞いてマスクの中で思わずえみがこぼれたが、淡々と作業を続け、聞いて聞こえぬふりをした。

「それが仕事だから当たり前だろ」
僕の笑を見破ったかのように父親が少年へ言う。父親の表情は固くなった。無論、マスクの中の僕の表情も。

「行くぞ」
父親はそう言ってその場から離れ歩き出す。だが少年はまだ一歩も動かない。

どうしてだろうと僕は彼の方へ目線を向けると、まだ彼がこちらをじーっと見つめて立っているのが見えて、その時はじめて目が合った。すると彼は何も言わずに深く一礼し、駆け出すようにしてその場を離れた。はじめて単純作業で感謝をされた瞬間だった。

いや、「感謝をされた」のかどうかは分からない。が、彼のおかげで人へ直接的に関わる仕事でなくても、それが単純作業であっても、少なからずこの仕事が人の役に立っていたのだとはじめて気づかされた。

これは何も僕が行った単純作業的業務だけでなく、スーパーやコンビニで綺麗に陳列された商品、駅の清潔なトイレ、永遠にアスファルトに落ちていない桜の花びらも、我々の「あたりまえ」はすべて誰かのおかげで成り立っている。

だけれども年を重ねるごとに、職業を相対化し価値あるものとないものとを年収や地位などで勝手に線引きし、「あたりまえ」を忘れ、いつの間に社会的に価値ある職業相手にのみ礼を言うようになっている人は絶えない。

医者や弁護士と比べたら社会的に価値なんてゼロに等しいようなアルバイトの僕。今日心臓が止まっても明日の日本に全く影響を与えない僕。そんな僕に対して「ありがとう」と言ってくれるお客様は正直言ってそう多くはない。どんなに親身に接客をしても、何も言わずに靴箱を受け取る大人たちを散々見てきた。まあそれは僕の接客の問題なのかもしれないが。

その問題はさておき(丁寧な接客を心がけます)、あの時の少年の視点というのはいつまで経っても忘れてはいけないものであるように思う。気がつけば誰かの笑顔のために働けなくなっている人間も、作り笑いしかできない店員も、一人の「ありがとう」や一人の一礼が、働いて得られた自然発生的な笑顔につながることは言うまでもない。

僕は消費者として、いや人間として、どのような業種の人に対しても、それが仮にボランティアであっても、自分の地位と他人の地位とに関係なく、あの日の少年のように、深々と、一礼できる人間でありたい。

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