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わたしの経験をひと匙の知恵として提供する

「なんであのとき…」と後悔の多い人生を過ごしてきました。そして、社会人生活を振り返った時に意外と「誰も本当のことを言ってくれなかったな」というケースが多いことにも気づきました。わたしのように些細なことを知らないため悩んでいるクリエイターやビジネスパーソンも多いのではないでしょうか。自分が陥った遠回りを他の方々がしないように、これからわたしの経験に基づく本質的なスキルをひと匙の知恵として伝えたいと思っています。

本noteでは、”わたし”自身を振り返りながら、今後何をお伝えしていくのか話します。

●わたしの履歴書

【学生時代】

小学校6年生のときに「コピーライター」になると決めていました。そして月日は流れ、東京の私大に進学しました。学部は商学系だったためマーケティングの延長に広告論のような授業もありました。図書館には「広告批評」が全ナンバーありました。ただ、環境は最高でしたが全然勉強せず、資格も取らず、バンドサークルの音楽室にばかり入り浸り、楽器を買うために週5で深夜のコンビニバイトをする怠惰な生活をしていました。それに輪をかけて陰キャ、コミュ障だったため、人と関わらないように特定のコミュニティで小さく生きていました。具体的な行動をしない、でも、漠然と「広告業界いいな」と思いながら、どうやればその道に近づけるのかわからないまま日々は過ぎていきました。

【新入社員時代】

就職活動は失敗に終わりました(当時入社した会社は良い会社です。しかし妥協した結果で自己正当化したのは否めません)。志望していた広告会社はすべて落ち、結果として誰もが知っている求人メディアを売る代理店に営業職として社会人生活をスタートすることになります。何故か活躍できる過大な自信を持っていました。しかし、飛び込み営業、テレアポなど繰り返すうちに陰キャを発動してしまい、かなり苦しい状態が続きました。結果も思うように出ませんでした。そして2008年9月15日リーマンショックが起こります。在籍していた会社も踏ん張ったのですが業績不振となり、わたしは2009年に会社都合で退職しました。

【受難の時代】

フリーター期間を経て、わたしは再就職します。自前のWebサービスを展開するベンチャー企業でした。「受難」というタイトル通り、生きていたのが不思議なくらいかなりブラックな環境でした(笑)。手当込みで手取り16万円、深夜残業は当たり前、土曜日も出社、パワハラ、1日10件アポ取れなければ罰金...など。離職者0と聞いていたのですが毎月誰かしら退職していました。数年耐えたのですが、最期は気力が尽きました。

【修羅の時代】

命からがらそのベンチャー企業から逃げ出した私は、世を忍ぶため地元に帰り、そして再就職します。就職先は大手メディア広告の営業職でした。また不得意な営業にチャレンジすることになるのです。ただし、前回と異なるのは失敗を踏まえて上手くやる心得があったため、平均以上の結果を残すことができました。またこの職場でゴーストライターとして能力が開花します。そして「教育研修」というビジネススキルを見直す機会や尊敬できる数人と出会えることもできました。ですが、数字を追うことの疑問や「政治」という新な課題が出現してきます…結果なかなか出世できなかったのです。

●経験から得たもの

ビジネスを乗り切る知恵に関しては本noteにはまだ述べていないですが、今後は個々のエピソードを切り出して、詳細と得た知見を投稿していきます。ざっくりと過去の経験で学んだことをキーワードとして並べると

・自分自身の性格や気質、能力には特性がある。当然苦手なものがある。苦手なものは克服することに相当の時間がかかり、努力しても100点がとれない

・ビジネスモデルが危うい業界や企業も多い。そこでマンパワーやリソースを投下しても改善されないこともある

・心理的負荷が高く、メンタルがやばい時は戦略的撤退もするべき

そして一緒に働く人はわたしの悩みや困っていることに気づかず、手を差し伸べはしません。「本当のことは誰も言わない」のです。

●今後のお話

わたしの拙い言葉が、誰かの救いになればと思っています。今後は自身の経験を仕事に役立つ話になるように分解してnoteに投稿していく予定です。78本くらいになると思っています。合わせて書きかけの小説「帰れない人々」も執筆再開したいと考えています。それではまた。ありがとうございました。


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