【微ネタバレ】推しが表舞台から消えて2ヶ月、『推し、燃ゆ』を読んで考えたこと

2ヶ月前、推しがDVをきっかけに表舞台から消えた。推しが炎上して目の前から消える経験は2度目だった。

ただひたすらに傷心する私にテレビが告げたのは、宇佐見りんさんの『推し、燃ゆ』が芥川賞を受賞したというニュースだった。

『推し、燃ゆ』
題名が炎上を連想させて穏やかじゃないけれど、どんなあらすじだろうか。そう思ってスマホを開く。

「推しが炎上した。ファンを殴ったらしい。」そんなあらすじに並ぶ文言達が今の私にリンクして考える間もなく購入を決意。
そして推しが消えて1ヶ月半が経った頃読み終えた。

読み終えて1番印象に残ったのは「そこにいるのはみんな過去の推しだった」という言葉。

主人公のあかりちゃんが今まで一生懸命推しの情報をまとめ続けていたからこそストンと落ちてくる。
推しが引退する事実を突きつけられて更新される今現在を探し続けても出てくるのは過去の推しでしかない。

自分の中で整理しきれなくて推しにすがろうとしてもこれ以上同じ時を共有出来ないことを見せつけられるだけの残酷な現実。
今私が置かれている状況とこの子は一緒だと思った。

真幸を推すことだけが唯一の拠り所だった彼女。最後のライブも観たし解散会見だって見届けた。
現状を壊してでも新しい生を掴んだ真幸くんと現状を壊せず成仏も出来ずに彷徨い続けるあかりちゃんはどうしたってもう交わらない。

その時、推しの引退を見届けられるだけでも幸せじゃないかと涙にくれながら嘆いた私の考えは間違っていたのかもしれないと思った。

推しの最後を見てもその先の今を共有出来ないことをありありと突きつけられるのだって想像出来ないほどに苦しいのかもしれないと感じたから。

同時に森貴史さんの『〈現場〉のアイドル文化論 大学教授、ハロプロアイドルに逢いに行く』が頭に過ぎった。

この本の中で推しは宗教、ライブは巡礼という表現が出てくる。

その表現を踏まえた上で『推し、燃ゆ』に立ち返ると、彼女は自分の信じて縋っていたものが金輪際自分の目の前から消えると宣言されているのだ。

もし私の推し(縋る存在)がただ1つであるなら、推しとともに消える道を選びかねないし正気なんて保てないだろうとゾッとした。

そして作品の最後に彼女が"綿棒"を投げた後に拾い集める描写がある。その上で自分自身を"壊せなかった"と表現する。

それは現状を壊そう(=真幸くんを推すことから離れよう)としてそれが出来なくてばらまいた推しへの気持ちを拾い集めているように思えて仕方がない。

なぜなら、私自身がそうだからだ。

3次元にもう1人最推しが居るからすぐ吹っ切ろう、グッズだって片付けよう。そう思って手に取るのに買った時の気持ちや興奮、それにまつわる思い出が溢れてきて手が止まる。
極めつけには自分がまだ推しを好きな気持ちを再確認する羽目になるのである。

再び開いて過去の推しに縋ることも片付けて前を向くことも出来ないまま彼の幻影を追いかけて彷徨い続ける。

"推し"という大切な背骨をいきなり抜き取られた存在は自分で現状を壊さない限りいつまでも成仏出来ずに居るのだろうかと考えてしまった


*最後に、上記は完全なる私見であることをご了承ください。

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