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301日目(親、先生、子ども)
テニスのコーチ
以前同じ職場だった友人と話をする。彼女はテニスを通して地域とつながったり、学校教育の手伝いをしたりしている。正月には初打ち会を開き、お昼を挟んで一日楽しませてもらった。長女もそのテニススクールに通っていて、とてもお世話になっている。彼女から聞いたのは、子供達にどんな意図でその練習をし、何をそこで伝えたかだ。長女から練習の様子はきいていたが、先生から聞くとまた一味違う。いつの間にかその場は個人懇談会になった。彼女曰く
「小さい子どもはコーチに褒められるより親に褒められる方が嬉しい。だから、保護者に報告することがある、よかったね、がんばったね、すごいねって会話のきっかけになることを1回のレッスンで持ち帰ってもらえるように観察して声かけてます。」
子どものことを誰かに任せっぱなしにしていないか。そして、子どもの話に耳を傾けているだろうか。子どもはみんなで育てるものだということを彼女は知っていた。
学校はどうか
私は今はお休み中だが小学校の教師をしている。忙しさにかまけてついつい子どもの様子を保護者に伝え損ねる。あるいは、子供が家で話せる、自分が褒められた体験をさせ損ねる。注意ばかりされていたら、うちで学校の話なんかしたくない。その子にどんなにいいところがあっても保護者に伝わらなければ意味がない。
保護者はサービスの受け手ではない
改めて考えてみると、保護者はサービスの受け手ではない。たしかにテニススクールには会費を払っているし、学校は払った税金で成り立っている。しかしである。子育ては割り切れない。テニスや学校で褒められたことをうちで話せた方が子どもは嬉しいはずだ。それどころか、モチベーションが高まることで上達にもつながるだろう。コーチや先生と親との間に信頼関係があれば、子どもも安心して通えるはずだ。そんな風に考えると、子育てや子どもの教育を、単に受け手に担い手が提供するサービスと考えるのはあまりにもったいない。たしかにお金という対価は支払っている。だが、それ以上に関係性という切っても切れないもので繋がっている。
もし、相性が悪いコーチや先生がいたら
子どもが「コーチが…」「先生が…」と言ったらどうすると良いのだろう。親としては永遠のテーマだ。子どもに何と伝えるだろう。子どもと何を話すだろう。何が問題なのだろう。そもそも、それは先生のせいなのか。簡単に結論は出せそうにない。でも、今目の前にいる子どもと、目の前にいない時の子どもや先生のことを一緒に考えるのが大事だなぁと思った。そして、コーチや先生とも、落ち着いて話してみよう。もちろん、教師という立場なら、親と向き合うことが大事だ。親と向き合うのは子どもと向き合うことの一部なのだなぁと思った。
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