見出し画像

大人になるということ|『医学のたまご』

『医学のたまご』海堂尊 理論社 (2008年1月17日発売)


 物語にはいつも、「正しさ」を求めてしまう。正直者が報われないストーリーの本なんて、読みたくない。悪者が得をして、その後一生を辿る映画なんて、見たところで何を得られるだろう。
 もちろんわかっている。現実はそう甘くはない、と。現実世界では、そのような絶対的悪を抱えた人間は、一生やり過ごしながら逃げ切れる術を持っている、と。
 たとえそうだとしても、フィクションの世界ではそうであって欲しくないと願わずにはいられない。 それじゃあ納得できない。『グレートギャッツビー』という物語と出会って以降、引きずり続けているあのやるせなさを、これ以上携えて生きたくはない。
 その、もはや本能的とも言えそうな感覚はどこからきているのだろう。道徳心、倫理観とは、生まれつき備わっているものなのだろうか。
 この問いの答えはさておき、少なくとも悪者が痛い目に遭う、正しい人間が最終的には認められる物語構造について、それが一番正しく、最もあるべき姿なんだと心底から信じれる自分。多少の欠陥はあれ、わたしは真っ当な人生を歩めていると安心できるのである。無意識のうちにそうやって、自分の信条の正しさを確かめようとしているのかもしれない。

 とある潜在能力テストで全国一位を取ってしまった中学生カオルが、現役中学生であるにもかかわらずダブルスクールという形で、大学の医学部に入学することとなった。カオルは中学校の学友から心強い後ろ盾を受け、遠い海の向こうアメリカで暮らす父から、とっても変わった、それでいてこの上なく愛情深いサポートをもらうのだった。
 表面には決して浮き上がってこない大人の醜い利己心と闘ったり、肩書きの弱さをもっても甘えは許されない状況下で正義感を育んだり。科学の世界では、大人も子供もない。それはある意味、厳しくも見えるが、中学生カオルにとっては十分すぎるくらいにフェアなのだった。

 いつだって、最後には正義が勝って欲しい。どんな時も、悪事は暴かれて欲しい。

 でも、どうやって?

 善悪の判断はできる大人だ、とそう自分を信じる当のわたしは、どのくらい悪に対して勇敢に立ち向かえるだろう。
 権力者の悪をのぞいてしまった時、悪を悪だ、と声を大にして叫べるだろうか。いつだって?誰に対しても?

 それだけでなく、どんな時もずるいことを決して行わず、真実を貫く強い姿勢を保ち続けるだろうか。世界中の誰にも、何にも、負けない心を持ち得ているだろうか。

 主人公カオルを善人ではなく「聖人」とたとえるには十分なほど、わたしは大人だ。たとえそれが、どういう意味であっても。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?