語り手と受け手の信頼関係|『ホワイトラビット』
伊坂幸太郎 新潮社 (2020年7月1日発売)
決して騙されるな。何度そう言われても、騙されただろう。
読了後の後味がどこか苦いのは、どこかのマジシャンのように今からあなたを欺いて見せますよ、という声には出さないそのお決まりの前置きがなかったからだろう。
読み手として、物語の受け手として、心の準備ができていない。
書き手と読み手。フィクション小説の世界において、これまでは評価される立場である書き手が、どちらかといえば弱者だと思っていた。もちろん、意識的にそう考えていたわけではないが、書き手の言葉に疑いを持つ必要性を感じたことがなかった。
もちろんその立場の上下については、媒体やその内容によって、必ずしもそうではないことも頭では分かってはいるのだが。
しかしながら少なくとも、読書中の作者と読者の関係は、常に信頼関係が基盤になっていて、その信頼の上でプラスアルファその物語構成や語り口調によって作者に魅了されるものだと信じていた。
作家の紡ぐ言葉の一つ一つに、一点の影も見出せないわたしはあまりに無知すぎた。一文字一文字を、信じ切っていた。
この後味は果たして、わたしが愚かゆえの結果なのだろうか。
これまでの経験上、語り手にこんな風に欺かれたことはなかった。作者の語る物語に嘘はあってはならないと、そう信じていた。そんなことをしていいのは、アガサクリスティくらいではないか。
何度振り返っても思う。
書き手の言葉に、嘘はあってはならない、と。
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