この話の結末は残酷なので、お気を付けください。
団塊ジュニアの1つの側面
私はいわゆる団塊ジュニア世代です。
標準化の中で優劣が決まった世代です。
標準化の枠を出ると、それは全て異端児扱いでした。
結果、標準化の中の優劣こそが、幸せの価値と比例するという
幻想を持って生きている人が多いです。
特に、そこで幸せをずっと感じている人ほど。
子供にも、普通に育って普通に育ってほしい、そしたら幸せになるという、訳の分からない幻想を持っていたりします。
私の妻も、その傾向にあります。
普通が幸せという幻想
多様性の欠片を拾えないまま、社会人になってしまった人がロスジェネの負け組になってしまったという気がします。
もちろん、社会人になっても多様性の欠片を拾うことは出来ると思います。
私は、個性を容認する高校に行き、学業で挫折し、大学でもチームスポーツの中で、自分との向き合い方を学んだ結果、多様性の欠片を拾うことが出来た人間だと思います。
挫折せず、規律の中で生きている人にとっては、普通が幸せということは、根強いのかなと感じます。
あるご家族でおきていること①
長男の同級生に、自閉症の疑いがあるお子さんが居ます。
保育園時代から、先生がぜひ市の発達相談を受けてみてはどうかと打診しましたが、家庭の中で見えていないからということで、お母さんは、発達相談を受けないまま就学しました。
結果として、忘れ物が多い等、少し発達上の遅れをようやく感じ、少し動き出しています。
保育園の先生は、かなりシグナルを送っていたということでした。
あるご家族でおきていること②
長女の同級生のお子さんで、保育園で痙攣を時々発症する
お子さんが居ます。
病院からは、てんかんの診断が出たそうで、保育園にお父さんから共有があったそうで、発症時の対応方法についての手順書を共有頂いたそうです。
ただ、年中さんですが、既に集団行動に不安がある状態のため市の相談を受けて欲しいと、担任の先生からはお伝えしていますが、お父さんは、完全に聞く耳を持たないそうです。
父として私が息子に持つ思い
ロスジェネという時代に生きてきた団塊ジュニアとして、標準が幸せをもたらすという幻想を既に、幻想として見切っています。
息子は、所謂グレーゾーンで、就学後も診断がつかない状態ではあります。
自分に性格が似ていることから、興味のあることへの深堀も見ていますし如何にそこを尖らせるか、ということを思っています。
普通なんてものはクソくらえ的視点です。
支援級の先生との面談まで
以前の記事にも書きましたが、就学前から支援級だろうと思って支援級を見学していました。
蓋を開けてみると、大学病院での結果は、知的水準が高すぎるので支援級への意見書は書けないという結論でした。
そういうことであればと、就学移行支援を療育の先生と纏め、学校に提出して、入学前に面談しました。就学後も続いています。
保育園の先生とも、ことあるたびに、立ち話で共有しました。
当時の支援級の先生は今も支援級の先生であり、入学式に出席したときに、ほぼ息子をロックオンしていたという記憶がありました。
その後、学校との面談の中で1学期終盤に、勉強についていけていないと
判明しました。
そこからは、少し、通常級の中での補強が始まるわけですが、妻がスクールカウンセラーの心理士さんとも相談のうえで支援級へという道を付けました。そして、支援級の先生との面談に至ります。
支援級の先生との面談
面談してみて、熱い、素晴らしい先生だと感じました。
学年の年初に全校に、支援級の子供をバカにしてはいけないみんな一緒だと毎年伝えていると伺いました。
勉強が分からない、学校がつまらない、学校に行きたくないを作らないために、我々の支援がある。
刺さりました。
最後に、入学式の時点で息子について認識があったかと、問うと知っていたから、見ていたという腹落ちが出来ました。
支援が遅れると
子供の支援が遅れるとどうなるか。
発達に対する、療育の開始が遅くなれば、就学時に持つべき水準に対する遅れが生まれます。
水準に到達できていないと、勉強についていけません。
(我が家ココ)勉強についていけないということは、勉強が嫌いになります。
(我が家若干ココ)勉強が嫌いになると、学校に行きたくなります。
学校に行きたくなくなる理由が、親には分からないと 解決策が見出せません。
発達に問題があったということに、どの段階で気付くかで、親の意思で手を打たなければいけません。
すぐに手を打ちたいと思っても、役所、病院、療育サービス、すべて順番待ちです。特に病院と療育機関は待ちます。
病院は最悪1年くらい待ちます。
療育サービスは見学、適正を見て決めますが、卒業を迎えるまでは、空きが出ない可能性が高いです。
少し話を戻します
遅きに失することの時間の挽回には非常に大きな労力と、時間がかかります。
先生方は、シグナルを送っていたことに気づきます。
そんな時、大抵想定されるのは、なぜもっと強く言ってくれなかったかということだと思いますが、可能な限り、強いシグナルを送っているのです。保護者の方の自尊心を傷つけないギリギリのラインで。
それが現実なのです。
私は、聞く耳を持たないご両親がその後の現実を残酷なまでに突きつけられたら良いと思っています。その方が世の中の意識も変わるでしょうし。
妻は、そんな世の中は駄目だと言います。
それは正しいです。ただ、私は痛い目の学びが人生の糧として生きてきたので、その痛さは受けて初めての物だと思います。
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