見出し画像

#11 喰 ②

 Aさんの伯父(#10)の場合、戦争と飢餓という究極の非日常的空間状況を「生きのびるために」食べるという過酷な体験によって負った心の外傷が、後の食行動の異常をもたらした。一方、食に充分満たされ、人々が快楽欲的に「食べるために」生きているような私たちの社会では、日常生活でさまざま体験する「生きづらさ」の苦悩と葛藤が、過食・拒食を含め「うまく食べづらい」という不可解な行動様式にときとして置き換わっていく。


 人が摂食症(障害)に苦しむことになる原因や背景、きっかけは、確たる因果関係の特定は困難であるにせよ実にさまざまである。厳しく不適切なしつけや教育、過剰支配的な養育環境の圧力を継続的に受けて育ってきた人、日常的に傷つく言葉や態度を受け続けてきた人、両親間に争いや緊張が絶えないなど基本孤独で、子供らしく甘えたり切実な心情に適切に反応・共感してもらえるような頼れる対象不在のまま成長した人、兄弟姉妹に対する親の扱いに偏りや差別を経験し育ってきた人、本人がなんらかの発達上の偏りを持っていたにもかかわらず、障害に気づかれなかったかあるいは養育者が向き合おうとしなかったがために、その後の社会集団生活への適応に失敗と挫折を繰り返してきた人…
 子どもにとって過酷で、養育機能が不十分にしか機能しなかった家庭環境とその後にかかる摂食症とは密接な関連があると言われているが、逆境的環境とは真逆の、温かく恵まれた家庭環境に育った人もいれば、家庭に大きな問題はなく、学校や地域社会といった人間関係その他の生活環境要因が影響している場合もある。
 摂食症に限ることではないが、あり得ないような虐待が日常的であるといった誰の目にも明らかな逆境的環境の体験者にかぎって精神的な障害を発症するわけではない。普通の暮らしぶりに織り込まれた、外からは見えず、判らず、気づかれにくく、当事者にも関係者にも自覚されない、一見、軽微とも世間一般常識範囲内とも捉えられる体験や状態の集積が、しばしば痛ましい症状とその後の困難な生き方をもたらす。

 摂食症の治療に長年取り組む精神科医によれば、こうした人々におおむね共通した特有の考え方や行動パターンがあるという。

① 体重へのこだわりが強く、一日中体重のことを考えてしまい、日常生活において数字、カロリーへのこだわりが過度に強くなる。
② 社会的場面において、自分についての評価を気にしすぎて周囲に過度に気を遣いすぎ、少しアドバイスや指摘を受けただけで実は内心ひどく傷ついている。人に合わせすぎてしまう。したがって、一見作業能力は高いが、実は普通の人よりも何倍もエネルギーを使うので疲れやすく長続きしない。
③ 人に合わせて自分を押し殺している分、同時に一層自分を主張したい気持ちも強くなり、それが病気としての様々なこだわりとして表れてしまう。そうすると人とかかわることがつらく成り引きこもりがちになり、極端な場合には死すらも考えるようになってしまう。

野間俊一 摂食症(ディソレクシア)という病 -”うまく食べられない”生き方 『こころの科学』No.209/1-2020 より抜粋


 食べることを拒絶しやせすぎたり、逆に過剰な食欲を抑えられず短期間に体重が増えすぎてしまうといった明らかに異常が目に見える人もいるが、むしろはたからみれば普通の社会生活を送っているように見える人の方が多いのだろう。周囲の当事者に対する人間性や社会的能力の評価はむしろ良好で、「できる人」に見られがちですらある。児童青年期あたりでもそれは同じで、活発で明るく友人関係にも恵まれ集団生活になじんでいた人も珍しくない。内向的であったり何事にも頑なでこだわりが強い性格の人ばかりがなるわけでもない。

 成長発達の比較的早い段階において、自分らしい生き方を追求するため必須である健康的な自己愛や自尊心が、自己にしっかりと組み込まれることのかなわなかったそれぞれに複雑な背景や環境を生きてきた人のこころには、共通して通底する独特の、なった人でなければわからないような、孤独感や不安警戒感がある。だから人に弱みを見せたり甘えたり頼ったりできず、その埋め合わせはすべて自力でしなければとの思いがかたくなまでに強い。また、まわりに上手に順応し能力のあるところを証明しようと人一倍気を配り頑張りもするけれどその実、日常ありがちな物事にもまた人一倍エネルギーを消費している。
 人知れず被抑圧意識と承認欲求の複雑に入り混じったいわば「心理的飢餓」を長年経験するなか、やせ願望と食べたい願望とが不制御にゆがみ交錯し、日常生活に困難を感じながら心身はさらに疲弊してゆく。

 摂食症の人にとっては、症状を手放すことは非常に怖い。手放したときに何が起こるかとても不安だ。回復するということは、その不安に打ち克って、症状を一つひとつ捨て去ることを意味する。そのためには、ものすごいエネルギーが必要だ。
 つまり、「すなおに治そうという気持ちをもてない」のがこの病気であり、治療者のエネルギーは、患者のなかに隠れている「本当は治りたい」という気持ちをいかに高めるべきかに注がれるべきである。100%治す気のある患者は、もうほとんど治っているに違いない。 

野間俊一 同上より抜粋

 
 自分は自分なりに懸命に生きてきた。むしろまじめにいい子であろうとして。それでも病気になってしまう。だが、そこから回復するために、再び多大な努力とエネルギーを振り絞って生きなければならないとわかったときに彼らが味わう言葉にできない絶望感。
 精神の病はいつも二重に苦しい。


サザエでございます』(こころの道草だより)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?