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#10 喰(食)①

 ものを食っている間、人は、悩みやわずらいから解き放たれるのだ。

ミゲル・デ・セルバンテス『ドン・キホーテ』荻内勝之 訳 新潮社 2005年

 Aさんには、自分の親戚についての遠い過去の、しかしある鮮明な記憶があった。彼の伯父は、太平洋戦争に従軍し旧満州で終戦を迎えたが、その後ソ連軍によって強制的にシベリアへ送られ、長い強制労働を強いられたのち帰国した。元々優しく穏やかな人柄だったというAさんの伯父は、帰国後しばらくは長い従軍と苦役の影響で心身とも疲弊しきっていたものの、暖かな親戚家族に支えられ、次第に元の優しい伯父に戻っていった。


 だが、彼(Aさんの伯父)には一つだけ元に戻らなかったことがあった。それは食事時(家でも外食でも)ほぼ毎回必ず起こったことだったのだが、彼は、常に人の3~4倍もの食事(量)を自分の食卓に並べるよう求めたという。そして、食事が始まるや否や、せきを切ったように猛烈な勢いで文字通りむさぼり食い、周りの誰よりも早く食べ終える行為をやめられないのだった。そして食べ終わるとやがてほっとするかのように元の穏やかな表情に戻っていった。
 Aさんにとって、彼(伯父)の食事の際に見せる別人格が乗り移ったかのような態度表情の豹変ひょうへんぶりは異様な光景だった。彼自身も実際のお腹の空き具合とは関係のない異常な食行動を自覚してはいるのだが、終生止めることはできなかったという。
 
 Aさんの伯父が、どのような精神疾患に悩まされていたのかは定かではない。ただはっきりしているのは、恐怖と飢餓が遷延する戦争と、強制収容所での筆舌に尽くしがたい極限状況の体験は、食卓を囲みゆったり食事を味わう家族の団らんをAさんの伯父さんから永久に剥奪はくだつしたことだ。それは平和な日本に帰還しようが、優しい家族の顔に囲まれようが決して変わることはなかった。
 Aさんは私にこう呟いた。

伯父のなかでは戦争は決して終わらなかったのでしょう。

 Aさんの伯父にとって異常な食行動は、長くつらい苦しみをほんのいっときにせよ解消するために必ず行われなければならない儀式行為のようなものであり、それを手放すことはできなかったであろう。なぜなら、むしろ野獣のようにむさぼっているときだけが、今も生きていること、生き延びたことを彼に実感させてくれてきたからだ。それは、たとえ周囲を蹴落としてでも勝ち取らなければならない、永遠に続く「生きるために食べること」という過去の追体験だったに違いない。
 

 一方、平和で豊かで成熟した現代社会に生きる私たちは、Aさんの伯父さんとは真逆の、「食べる(悦びの)ために生きて」いるといえる。だが、食行動の障害(摂食障害)は、症状や背景をさまざま変えながら、今でも多くの人のこころをむしばみ続ける。(次回へ続く)

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