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事業会社を始めて、そして閉めた話(その15)KPIの必然性と評価の隙間。

 前後の仕事での評価の違い、これが最初は飲み込めなかったという所からですね。

ヒラリーマン的センスで言えば、「所詮会社の評価なんて水物だよねえ〜。ごくたまにいい事あるから押し頂いて、今日はちょっといいお酒飲もうかな」的に流す(笑)訳ですけども。

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 違いの一つは、自分が提案者、並びにプロジェクトの代表として、設定されたKPIを達成した。社内は上から下まで誰にとってもこれはKたろうの成果以外では無い、とアカウンタブルだったという事があります。

 これまで、必要と思う事を、リソースが無い中でとにかく成立させることを正としてやってきた。だから目標、課題から設定された、施策の進捗指標のKPI、それ達成だけの評価は良いとは思わない。アカウンタブルな失敗をして良いというのは、守られている立場であって、ギリギリの状況でそれはあり得ない訳です。

でも、小さいところから大きな会社に戻ると、以下の様な事を、また実にしみじみと感じる訳です。

●大型艦船の運行の様な社内

戻ってみると、想定していたより、遥かに水平分業が進み、これは二度とオーガニックなイノベーションなど存在出来ないのではないかと言うくらいだった。

大型艦船、タンカーは、レジャーボートや水上バイクのように切り返しはできないしイナーシャも大きい。その代わり、小さい会社で出来ない規模やリーチが可能。でも判断は艦橋、ブリッジの人間だけで、彼らが運行状況を確認する計器の数値がKPI。そんなところでしょうか。

寂しい話、人も含め殆どが装置です。小魚の群れを制御する様に一つの方向に向けて差配しないといけない。論功行賞は、左右しか見られない連中の不平等にならないようKPI指標にまとめた達成度になる。

"船内作業"に船外の価値は中々馴染まないんですが、外部から見ると大きな価値として捉えるべき事もこれは確実にあります。その場合でもまずは、最速で計画を見直して測定可能に繰り込んで行こうとしなければならないって事なんです。

良くコミットと言われますが、責任者、立って評価される人が決まっていないと評価出来ない。これが業務的には一番大事。慣れない指標でもいいから、取り敢えずKPIを設定する。計器しか見る余裕のないブリッジのマネジメントに分かるレベルで、とりあえずの物を渡すという役割に誰か立ってくれる事自体が必要になる。

原則は結局これ以外無いんじゃないかと思う。

だからこそ常に振り返るVisionや社会貢献の柱、戦略が極めて大事になるし、見直しは常に叫ばれる。すぐに対応出来ないとすれば、変化の早い今、外部環境とのズレが積み重なる=大企業病が進み、結果としてまた困難なリストラが必要となる。

もう一つ、以下の様な問題も生じますね。

●KPI評価の隙間と問題

 外部視点の客観価値から見て、社内のKPIが相当いびつだな、と思うことがある。例えで言うと、フジロックのラインナップと、大学の学祭ライブのそれの違いが判断ついてないという様なイメージです。

それでも単純化されたKPIの達成として内部で説明が付けば何も言われない、そんな所に隙間が生まれます。

自分の前の仕事は、外部に非常に評価され、社内評価には全くつながらなかった。総じて「社内に馴染まないテンポラリ業務が必要で、たまたまコンサルができるレベルの人間が社内にいて、給料分で安く使えた」という物で、多くの人はそうとさえも想像できなかった。ライン業務メインで外部価値のプロが居ないからそうなるのは自然でもあります。

自分はプロジェクトの推進上の下回りのKPIなので、プロジェクトを言う通りに進めたか否か問われれば、言う通りに進めたら失敗するからしていない。信頼を壊される危険のある場所に上司を呼んでいない。つまりプロセスを上司に報告できなければ評価はされない。

結果、私が大幅に達成した、ちょっと単純なKPIは上司のもので、なぜ達成できたか、どの様に上手くいったのか、それがフジロックなのか学際レベルなのか、懐メロショーなのか、船内では結局解らずに終わってしまう。そのまま上司は余得頂いて昇進もし、部下として上手くいかなかった同僚が新課長になってしまう。

皆さんの会社にも、業界に通じているとか、新規事業ばかり渡り歩いている割に、何事も成している様には見えない方がいませんか。それなのに新しい馴染まない価値が来る度、その担当マネージャーとしてアサインされるような。

出向元に戻るエピソードのあたりでも書きましたが、自分がいたのは、私に該当する様な人員を自分のチェリーピックの畑とし、内と外の”せどり”で食ってきた人々の吹き溜まりの様な組織でした。

そんなチェリーピッカーには、外部価値を基準に求め仕事を進める人間は、成果をつまむ畑であると同時に、逆説的に一番警戒すべき人間となる。本当の事を知り、言ってしまう人間に、自分のKPIを無意味化される恐怖を感じる訳です。

その人々が生き残る為に磨いたスキルこそが、パワハラ、パワーハラスメントであるわけです。ここで本来的価値観から見ると、逆淘汰が起こっている。

実はそれも小さな事で、この大型船=大組織にとって一番の弊害は、KPIを達成しても、何も詰み上がらないという事です。属人的成果とも認められない(それで、外と組むだけ組ませて、飛ばされたのかもしれません)ので再生産が出来ない。リソースを再び収集し、同じようにパワハラで抑えながら摘み取る歴史が繰り返されてゆく。

そして、本当に幸運な事に、新しい仕事の上司は真逆のアプローチだったんです。外部価値を、自分が解らないからこそ、艦橋に伝えるKPIとして、こちらの産むものをなんとかブレイクダウンしようと努力する、幸いにもそんな人だった。

艦橋のマネジメントに計器の数値を報告する事はまず必要。そのKPI設定によって、消尽するだけのパワハラの吹き溜まりになるか、ダイバーシティを活かして新しい価値を生むかの違いが生まれる。

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 今回の仕事は、社内の歴史もほぼ絶えて、創業に近い大先輩たちであればどう考えたか、という事しか基準に置かなかった。それを新上司が最大限に尊重してのKPI設定となった。

結果、個社の事業戦略上の施策の一つを成立させた艦橋のマネジメント達が直接考える施策となり、自分の様な平社員に課されるKPIの粒度としては、これかなり大きいものだと初めて気づく。

続きます。

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