見出し画像

 電車がやってくると、おれの後ろの客が、ぐいとおれの前にいやらしく身体をねじ込んできた。おれが「ちょっと」と抗議するよりも早く、男は振り返ってこちらを睨みつけ、「横入りすんなよ、ボケぁ」とドスを効かせた声。
 おれはたまらず男に食って掛かりかけたのだが、ぐっと堪える。いかんいかん、こういうときこそ、アンガーマネジメント。きっちり6秒数えてから、おもむろに脇の下のホルスターにしまった銃を引き抜く。もちろんサイレンサー付きだ。それをコートの内側から、男の背中の贅肉に突きつけて、ぷしゅっ。ぷしゅっ・ぷしゅっ。男ががくりと崩れ落ちる。
 電車が到着し扉が開く。降りる客が迷惑そうに男の身体を跨いでいく。
 近頃はマナーのなってないやつが増えたなあ。
 行きがけコンビニでコーヒーを買い求め(レジに並んでいると若いサラリーマンが横から現れて会計をしようとする。アルバイトの店員も、先に並んでいるおれに気が付かないのでふたりともぷしゅっ・ぷしゅっ、だ。やれやれ)、出社して自分のデスクへ。コーヒーを一口啜る間もなく電話が鳴る。電話機の小さな液晶に表示された番号を見て、おれはムッと顔を顰める。相手はこのところ、さんざやり合っている、いやらしいクライアントだ。
 おれはデスクの引き出しを開け、小ぶりなハンド・アックスを取り出す。左手でコーヒーを啜りつつ、右手でハンド・アックスを振りかぶり、がつん。おれのデスクの電話が静かになった。すると今度は同僚Yのデスクの電話が鳴る。Yが受話器を取ってから、ニヤリと笑いおれに寄越す。おれはやれやれと苦笑。
 電話口からは「責任問題」「どうしてくれる」「今後の取引を考え直させてもらう」「今すぐやれ」といった喚き声。こういうやつに限って修正の回数は多く、言うことはころころ変わり、おまけに金払いは激渋なのだから嫌になる。何ならこちらが迷惑料なり慰謝料なりを一律パーセントで乗せたいくらいだというのに。
 おれは「あーっ、あーっ、どうもお声が遠いようです、あーっ」とひとしきり叫んでから受話器をYに返す。Yは苦笑いを浮かべ保留ボタンを押し受話器を置く。おれは頭の後ろで手を組んで上体を反って天井に向かってぷふーっと溜息。それから、ちらりとYを見る。Yはおれの視線を受けて小さく頷く。おれも頷くとふたりして立ち上がりオフィスを出る。
 着いた先の部屋には、そっけないテーブルと、電話機が二つ。テーブルの中央に、ちょうど昔の電子ブロックのおもちゃをごつくしたような奇妙な機器が、頑強なアタッシュケースに詰め込まれている。おれは受話器をとり、早速コールする。
「もしもし、いるかい」
「ああ、お待ちしておりました……では、認証のほうを」
 おれは目でYに合図する。Yがもう一方の受話器を取る。
 それからおれとYとで、一文字ずつ認証コードを読み上げる。Yが最後の一文字を読み上げると、やや間があってから、
「認証完了。あとはそちらにお任せします。神のご加護を……」
 といって、ガチャンと通話が切られた。
 おれは胸ポケットから一枚の名刺を取り出す。先ほどの、いやらしいクライアントの名刺。その住所を一文字一文字、丁寧に中央のアタッシュケース内のキーボードを叩いて設定する。最後に、モニターに映し出された内容と、名刺のそれをみたび見比べ、うんうんと頷き、右下の発射ボタンを強かに押し込む。
 ふたたび自席に戻って受話機を取る。おれが頷くとYは保留ボタンを再び押す。
「いったいきみ、何分待たせるつもりなのだ! まったく、御社の社員教育はどうなっているのだ?!」
 おれは一切答えずに注意深く耳を澄ませる。
「おいっ、おまえ、聞いているのか?! 納期に、どう間に合わせるつもりだ! 弁償だ弁償! こっちはビタ一文────……
 ガッ。という強い衝撃音がして、ツーツーツー。と通話が切れる。無事に着弾したようだな。
 受話器をYに返す。受け取ったYが、こちらをじっと見てくるので、おれは肩をすくめてニヤッと笑う。Yもニヤッと笑い、「ひとつ貸しだぜ」という。やれやれ、ちゃっかりしてる。
 昼休憩はYの希望による町中華へ。おれは肉野菜炒めと焼き飯。Yは酢豚のセット。いざ食べ始めようとした矢先、隣の席の男がくっちゃ・くっちゃとし始めるので敵わない。やれやれ。おれが脇に吊るした銃を抜くより早く、Yがプラスティックの箸をそいつの耳に躊躇なく突っ込む。男ががくり、と八宝菜に顔を埋め、びくっ、びくっと痙攣し、やがて動かなくなる。しばらくして店員がその男の肩を叩き、「お客さん、お客さん! こんなところで寝ちゃ困るよ! まったく、どういうマナーしてんだい……」と呻きつつ、男の両脇を抱えて持ち上げ、ずるずると引きずり厨房の奥へと消えていった。
 午後は新規クライアントとの初回打ち合わせ。デザイナーのSを同伴して先方へ向かう。新しいブランドをつくるので各種のカタログだとか、リーフレットの類、ブランドロゴのデザインだのと一式、という問い合わせ内容だったはずなのだが、どうにも要領を得ない。社長を名乗る男に、色々尋ねるのだが返事は曖昧、金額感もまるで出てこない。そのくせ、だらだらと話だけが長い。
「これ、あんまり詳細決めずに、とりあえず呼んでみた感じですかねえ」とSが小声で囁く。かもしれんなあ、とおれは顎をさする。Sは参ったなあ、今日提出の仕事があるんですがねぇ、と貧乏ゆすりを始める。おれは、とりあえず予算感と成果物だけ決めて頂ければ後は何なりと、と幾度も提案するのだが、そのたびに先方はうーん、しかしねえ、こちらは何ぶん素人ですからねえ、と終わる気配がない。
 仕方あるまい。おれはポケットから革の手袋を取り出して一指ずつ丁寧に嵌め込み、ぐー・ぱー・ぐーとその感触を確かめる。そして立ち上がり、目の前のクライアント、その男の背後へと回る。ジャケットの内ポケットから細いワイヤーを取り出し、革手袋ごしにしっかりと握り、ぴん・ぴんと二度ほど張って強度を確かめる。そして、少したるませてから、滑らかな手つきでクライアントの首に巻きつけ、ぐっと引こうとした矢先────。
 背後から光るもの。手裏剣。おれの手に巻きつけたワイヤーを切断し、目の前のテーブルに突き刺さる。おれは振り返る。天井の隅、よく目を凝らすと光るふたつの目。
「ニンジャ……」
 天井に張り付いたやつが呟く。おそらく自分で名乗ってるのだからニンジャなのだろう。そいつは「ヒュッ」とおれに向かって急転直下で飛び掛かってくる。おれも腰を低く構え、応戦する。
「すみません、ほんと社長は言い出すと止まらなくて……」
 社長の部下を名乗る若い女がしきりに頭を下げる。おれは「いえいえ」と鷹揚に応じ、取り敢えず現在販売している商品を参考に、新規アイテムの販促にまつわる幾つかのデザイン案、その粗見積もり、および簡単な企画案を再度持ってくるということで、ようやく話がまとまる。
 女の座る席の後ろで、ニンジャが壁に凭れ掛かって、ぐったりとして座り……いま、ずるずると横に倒れて床に伏す。社長のほうはといえば椅子にだらり背を預け、首を大きく後ろに反らし天井を向いている。
「では、社長にも、よろしく」とおれは女に告げ、Sとともに先方のオフィスを後にする。
 急いで見積やらメールやらをこなし、何とか20時を前に退社。無駄に時間を食ってしまったなぁ。駅に着くと、おれと同様に帰路を急ぐサラリーマン・学生・その他でごった返し。おれは人波を縫うように進む。すると目の前から不逞の輩。そいつは奇妙な歩法で次々と通勤客を、そのうち婦女子ばかりを狙っては衝突を繰り返している。あれが世に言うぶつかりおじさんというやつか。
 おれは目立たぬように、ジャケットのなかで銃を構える。
 すれ違いざま、男が進行方向に対して突然直角にステップ。真横を通り過ぎようとしたおれに激しくぶつかってくる。ぶつかり際、おれはジャケットごしに男の脇腹めがけ、ぷしゅっ、ぷしゅっ。一瞬間に二度引き金をひく。男は一瞬びくっと跳ね上がるような動きを見せ、しばらく立ち止まってから、ぎこちない動きでゆっくりと歩き出す。
 あいつ、さては防弾チョッキを着ていたのだろうか。しかし二発発、ほぼ同じ箇所に、至近距離で当てたのだ。無事では済むまい。どうしようか、後を追って止めを刺すべきか。
 おれはちょっと迷ってから、いや、よそう、既にお互いすれ違い終えたのだから、そこを更に追いかけるというのはマナー違反だな、そう考え直して歩き出す。
 否、歩き出そうとするのだが、やおら床が起き上がり垂直に迫ってくる。否! おれが倒れている! 地面に衝突。痛みは鈍い。これはどうしたこと。おれは何とか手をついて起き上がろうとする、力が入らない。腕が思うように動かない。
 まさか。おれは満身で身体を捻り、なんとか目だけで後ろを見やる。脇腹に手を添えた男が一瞬振り返り、にやりと笑う。あ、あいつ。さては毒か。ぶつかった拍子に、なにか仕込みやがったな。あの野郎、どういうマナーしてやがるんだ。今度会ったらただじゃ────

 *

 仰向けに斃れた男の身体を、通勤客が迷惑そうに跨ぎ、踏み、蹴っていく。やがて人波も途絶ると駅員が「もし、もし」と声を掛ける。男は身じろぎひとつしない。駅員はちっ、はぁ、困るだよなあ、と吐き捨ててから、男の両腕を掴み、ずるずると何処かへ引きずっていく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?