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ドリブンズ監督越山はなぜキレイごとを言いたがるのか 批判に過剰反応するその深層心理を読み解く

例えば越山はこんなことを言っている。

-セレクションも含めて、指名する選手の所属団体や年齢は考慮されているのでしょうか。

基本的には、所属団体や年齢で縛りを設けることはしていません。より良き選手を獲得する上では分母は大きいほうがいい。とはいえ、チームとしてスカウト機能があるわけではないので、現状では麻雀界の全ての選手を追えず情報が限られる中で、どうしても園田が所属している最高位戦、たろうが以前所属していた協会の選手が多くなるところはあります。

■キレイごとその1

基本的には、所属団体や年齢で縛りを設けることはしていません。

大方の予想通り実際に越山が選んだ選手はいずれも若い30代であり、かつ最高位戦であった。むしろ「基本的には若手から中堅でかつ最高位戦をベースに選考を考えている」と本音を語る方が、話としても回りくどくない。

例えばBEAST Japanext監督の中田をドラフトで選んだ理由を見ても清々しいくらい率直であり、個人的にも好感は持てる。

中田については「BS Japanextでは麻雀の番組もやっていて、麻雀の普及というところもしていまして(中田は)発信力、言葉の強さというものを持っているのかなと。ご自身も麻雀カフェをやって、麻雀を広める、麻雀愛というものがある」と、タレントパワーについても言及した。

こうした率直さはドリブンズの越山にはない。越山は予防線、必ずエクスキューズとして、綺麗ごとを無駄に述べたがる癖があるのだ

例えばやたらに公平さやフェアネスだのと空虚な言葉を繰り出すが、実のところ越山自身の強烈なバイアスのかかった麻雀観、そのフィルター(偏見)を通しての公平さやフェアネスであることに多くのファンはとっくに気づいている。

下記のnoteにも示した通り、越山にとって言葉とはプレゼンの技術であると同時に自己弁護のための詭弁を弄する技術でもある。それをどう見るかは人それぞれだが、そんなレトリックにコロッと騙されてしまう程度の者も一定数いることはたしかだ。

後述もするように、これに限らずなぜ越山はこんなきれいごとばかり述べ、建前を強調したがるのだろうか?これが今回のnoteのテーマになる。

あるいは越山はインタビューでこんなことも言っている。

―起用法に変化は。

 「出場試合数に関しては、360度評価でみんなが納得できるバランスになっていくことが大事

そこに性別の差はないし、1年目とか10年目とか20年目とか(キャリアは)関係ない。渡辺さん、浅見さんが試合数が一番多くなる可能性もあるし、その期待もしている」

■キレイごと その2

「360度評価でみんなが納得できるバランスになっていくことが大事。」

そもそも越山にとってみんなとは、愚かな期待値采配を知的であり戦略的であると妄信してくれる極めて限定された人たちのことなのだろう。この信者だけを集めた独裁式ならば360度評価も可能だろう。

逆に言えば独裁でなければ、360度評価など絶対に不可能である。

だからこそ他の民主的なものの本質を弁えているチームは、逆説的ではあるが、360度評価などという発言は絶対にしない。なぜなら真に民主的であろうとすれば360度評価など不可能であることをよく理解しているからだ。越山の民主的なものへの不理解が図らずも360度評価発言で表出してしまった格好である。

360度評価を可能とした理想を実現した国を見たければお隣の非民主的な国へ行けばいい。

いずれにせよ360度評価というキレイごとを公言しているチームなどMリーグでもドリブンズだけというのは最大のポイントになる。そして360度評価発言は実は独裁と批判されていることに対して越山は気になっていることの裏返しでもある。

例えば今から頭の中から「」だけは思い浮かべないようにしてくださいと人は言われると、それまで「」などまるで意識になかったのに、意識から外そうとした途端に「」がかえって意識されてしまう。そうしたパラドクスにも似て、批判など気にしないように意識することが、かえって結果的に批判を気にすることへつながってゆく。

独裁批判も気にしないようと処理しようとしても、実は自分の内側にも独裁と言われて思い当たる節があり、無意識の内にそれらのバランスを取ろうとすると、このようなキレイごとの発言として表出することになるのではないのだろうか。


■キレイごと その3

「そこに性別の差はないし、1年目とか10年目とか20年目とか(キャリアは)関係ない。」

ここでも越山は建前・きれいごとを述べているが、ドリブンズ越山が男女の性別についても明確な線引きをしていることは指摘するまでもない。

ドリブンズのドラフトの際にも女流に試験を実施、男には試験は免除という区別をはっきり設けている。この越山の性差別の根源的な要因も、つまりは「高度な頭脳スポーツとしての麻雀への認知の確立」という越山の麻雀観に集約されると結論できるのではないか。

もし麻雀も碁や将棋にも比肩するような高度な頭脳ゲームであるならば、はっきり言って女流の出る幕はほぼ一切なくなるだろう。なぜなら将棋や碁のような真に高度な頭脳ゲームではご存じのように男性のプロに女流が勝てる確率は限りなく0となるからだ。

むしろこうした将棋や碁のような高度な頭脳ゲームにおいては越山が露骨にMでやっているように明確に性の区別をすべきだ。

あるいは球技のバレーであろうが陸上であろうが水泳であろうが柔道であろうが、こうした競技でも性差別を無くし、Mリーグのように男女が同じ条件で戦えば、これらのパワー系の競技でも女性の出る幕は一切なくなる。

性区別を無くし陸上100m決勝で争った場合、女性がその決勝の舞台に上がれるチャンスはまずない。やはり女性は女性で、男性は男性でそれぞれのカテゴリーで優勝を争うのが正しいスポーツ・ゲームというものは数多くある

ところが麻雀とは基本、運ゲーであり、だからこそガチの戦いの最前線であるMリーグでも、MVPも2年連続女流でもあったように男女が同じカテゴリーでガチで戦っても、女性がふつうに勝てるゲームなのだ。

つまり、女流がふつうに勝てる麻雀に限っては越山のように性差別をしない方が盛り上がるゲームだということになるのである。

越山がどれだけきれいごとを羅列しようが、事実として女流枠も否定し、たとえ一昨年のように調子の良かった丸山でさえ試合数も極端に絞っていたようにおそらく性差別という批判に過剰反応している越山は、そのきれいごととは裏腹に来年も 確実にドリブンズは女流の試合数を最小に絞り込むことになるに違いない。

ただし提灯記事にもあったように、ほんとうに越山の魂がやわらかいならば、期待値采配などという愚かな戦略の間違いにも気づき修正を加え女流蔑視などもしなくなるだろうが、果たして越山が相変わらず期待値を妄信し、ドリブンズ女流の試合数を減らすのかどうか注目していきたい。


その越山とは対照的にBSJapanextの監督は興味深いSNSのツールの使い方でインタビューでこうも答えている。

-選手起用はどのように考えていますか。

アイデアとして、チームの開幕戦に出る選手は番組の視聴者に決めてもらうことを考えています。BSJapanextは視聴者と双方向でできる仕組みがあって、コメントも出せるようになっています。そういったところでファンの方、視聴者の方とつながって進めていけたら面白いかなと思っています。

BSJapanextは、オーナー自身がメディアを持っている特徴を最大限生かすべく、SNSと連携しつつ、ファンの意見を可能な限りチーム作りに生かそうとするということらしい。

越山が独裁スタイルを貫いているドリブンズとは実に対照的だ。言うまでもなくドリブンズ越山がチームの方針についてSNSで一般のファンからの意見を取りに行くことなど99%ない。なんならyoutube楽屋裏の配信でも、越山は批判殺到を恐れてかコメント欄も封鎖し、チャットも有料化し、アンチの声を完全に封殺しているくらいだ。

もっとはっきり言えば、,越山はドリブンズを批判している奴らを知的にも程度の低い連中とバカにしくさっているのだろう。もちろん自分が愚将であるという意識も越山にはまるでない。


最後に今更ながら ドリブンズ越山、イメージアップキャンペーンnote、提灯記事を拾ってみると

華やかに魅せるエンタメだけでは、Mリーグはおそらく長くは続かないだろうと考えているからです。
実際、私のまわりでも、エンタメ重視の現在のMリーグにはまったく興味をそそられないという麻雀ファンは少なくありません。

この提灯記事の筆者の周囲の人の反応は興味をそそられないとのことだが、客観的にはMリーグの視聴者数は右肩上がりで増加している。大事なのはミクロな自分の限られた周囲の反応ではなく、マクロなMリーグの視聴者数のトレンドであることは言うまでもない。(ミクロ経済とマクロ経済の違いを少しでもかじっているとこうした提灯コメントは出てこないのだが・・・)一つくらいガチ全振りしているドリブンズのようなチームがあってもいいとは思うが、もし越山の主張にあった女流枠を否定していたならMの視聴者数は今ほどの伸びはまずなかったに違いない。

なぜなら、Mリーグの視聴者の8割は男であり、女流が活躍すると数字にもそれが顕著に反映されるからでもある。 


最後に定番となった 期待値を妄信するウマシカ・ガチ勢に贈る、ドリブンズ期待値戦略のミスを徹底レビューしたnote6部作も改めて掲載しておきます。



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