キラキラ東京を求めた先に
こんにちは。
オーストラリアから、自分迷子さんを救うサポートをしているAIRI (@bymyangle.com__)
です。
自分の人生の棚卸をすることで、
見えてきた
知らずしらずのうちに出来ていた自分の中にある制限
をシェアしたいと思います。
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21歳で、
田舎の看護学校を卒業して、無事に看護師免許を取得して憧れの東京へ✨
東京に憧れていた理由は、
幼いころから、モー娘のゴマキ・辻ちゃん・加護ちゃんが大好きで
地元にモー娘が来るとなれば、
親にお願いしてチケットを即買ってもらい、
友達と一緒になって、頭からつま先まで完璧におめかしして
コンサートまでに練習したりして、
子供ながらに踊ったり歌ったりして楽しんでいたのを覚えている。
’アイドル’自体が好きで、自分もなりたい💕と強く思っていたほどだが、
それよりも、
人から注目を浴びて、スポットライトを浴びて、幼いながらにファンがいてさらに、その財力で親に家を建てたとかそういった姿に魅了されていた。
私もアイドルになって、人から注目を浴びて、スポットライトを浴びて、ファンがたくさんいてお金を稼いでお母さんにマンション・もしくは家を建ててあげたいという野望があったのだ。
当時、「モー娘メンバー募集」というCMをよくやっていた。
「私、応募する!モー娘入るから!」とよく宣言していた。
だが、
ダンスや歌を習ったこともなければ、鹿児島という田舎出身ということから
「え~ダンスもしたことないのに?東京でどうやって小学生が生活していくのよ?無理むりでしょ~。」と
地元から出たことのない親や祖父によく言われていた。
それを鵜呑みにして
当時バレーボールに熱中していたのもあり、
「そっか、東京で子供が一人で生活するのは無理よね、関東とかやっぱり都会に住んでる人しかアイドルなんてなれないんだ。私には無理か…」
「バレエもダンスも歌も習ったこともない私にはもうアイドルの道は遅いのか・・・」と
アイドルの夢は封印したのだ。
その後も、
テレビでモー娘や、安室ちゃんなどを見るたびに良いな~って
目をキラキラさせてテレビにくぎ付けになっていた✨のを今でも鮮明に覚えている。
中学生なのに、私の母はセブンティーンやプチレモンという
ちょっと自分の年齢には、お姉さんな雑誌を買ってくれていた。
雑誌を見るたびに、
あ~この服可愛い、どこで買えるんだろう?と見るたびに
鹿児島にはないブランドの店ばかりで、チーン↷っ落ちていた。
すぐには手に入らない代わりに?
可愛いと思うお洋服や、モデルさんのページを切り取りして
オリジナルブックをつくっていたのを思い出した。
(今思えば、こうなりたいな~ってビジュアル・ビジョンボードを誰からにも教わることなく自らやっていたのだと気づく)
ますます
私の東京への憧れは強くなっていったのだった。✨
更にその後、
シングルマザーナースから育った私は、
レールをしっかり引かれるかのように、看護師になったのだ。
小学校の先生や、体育の先生、美容師さん、ダンスならってアイドルコースなども選択肢に入れていたのだが
「将来性に(仕事に)すぐつながる学校でなければ出さないよ!」
という母の意見と、大学を卒業してもすぐに就職できていない先輩方を多く見て、看護師の道を選んだのだ。
学校も東京とは言わずとも、福岡などの都会の学校へ行きたかったが
そんな余裕はなかった。
大学や就職で18歳くらいから地元を出て都会で生活する同級生たちが本当に羨ましかった。
お盆やお正月に、帰省する友達たちに会うたびに
都会へ出るにはちょっと遅いのかな…
私って色々遅れているのかな…
という概念が
知らず知らずのうちに出来ていたのだ。
しかしながら、アイドルになれないなら
看護師になって東京に出る!東京で自立したCITYGIRLになる!
と看護学校に入る前からもう自分の心に決めていたのだ。
看護学生3年生の時に
就職活動で探す場所は、もう東京一択。
東京のありとあらゆる求人を見ていました。
半面、大学への進学への選択もあったのだ。
母は、「大学進学すれば?必要なら予備校代も学費も出すよ。」と言ってくれたのだ。
だが、私はもうこのチャンスを逃すと
東京に行く機会がまた延びてしまう。もう既に人より遅れているのに
母は、私をこの田舎に引き止めようとしているんだなと思った。
結局、地元での進学することはせずに
東京の都内某総合病院へ就職したのです。
憧れのキラキラした念願の東京✨
東京23区内にある、立地の良い高級住宅街にあるでかーい病院で看護師としてのデビュー。
新卒で、毎日どんな人と出会えるかな~どんな楽しい生活が待っているんだろうとワクワクしていた。
お給料さえ入れば、
あの雑誌に載っているお洋服も自分で買えるし、
行きたいおしゃれなお店やカフェだってもう全部自分の物になる~♡って
その一方で、
一人暮らしも初めてで
ガス・電気の契約もわからず、転入手続き等もわからず…
知り合いもおらず、右も左もわからない都会の中で
不安で毎日うるうる。。
あ~私って守られていたんだな。
「こんなくそ田舎さっさと出てやる!」とおもっていたのに
お母さん、家族、大きな心地よい自分の部屋が何度も恋しくなった。
どこでもドアが欲しい…。と本気で何度も何度も心の底から思った。
そんな中、
患者さんという人の命を守るプレッシャーで圧し潰されそうになりながら生きていたんです。
東京23区内にある、立地の良い高級住宅街に住めるとは言え、
私の東京の初めの住み家は、
お化け屋敷ともいえるボロボロの病院敷地内にある
4.5畳の全てが手に届く、狭くて薄ぐら~い部屋だった。
しかもトイレは外、お風呂は寮とは離れた職員の更衣室にある物を使わなければならなかったのだ。
新しい地に、自分の足を付けるとはこういう事か…
とキラキラした思い描いていた東京ライフとは程遠い
私の東京ライフが始まったのだ。
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自分がしたいことに対する、人からの反対意見
本当にあなたが追い求めてほしい物であれば、
それはノイズにしか過ぎないのだ。
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