第三話 山茶始開 ―さんちゃはじめてひらく― (三)
<三>
湯から上がり、あとはもう寝るだけの格好にガウンを羽織って居間に戻れば、一番上の兄の楢司も戻っていた。深刻な話をしていたのか、なにやら難しい顔をしている。苦虫を噛んだかのように、口がへの字に曲がっていた。
「楢司お兄さまは、どうかなされたの?」
「ん、今、己のもつ常識範囲がいかに矮小で、底の浅いものであったかを実感しているところだ」
「なんですの、それ」
また、梟帥の悪い癖が出た。ときどき、わざと人を煙に巻くような、持ってまわった言い方をする時がある。茉莉花には、それが鼻に付いてならない。小馬鹿にされているように感じる。不愉快さが顔に出ていたのか、梟帥は、「今日あった事を話していたんだよ」、と言い直した。
「あんまり常識外の話で、どう反応したらいいのか、困っているみたいだ」
「最初からそうおっしゃればよろしいのに。そろそろお茶の用意をいたしますわね。咲保さんからいただいた亥の子餅もありますけれど、皆、二つぐらいはいただけるかしら?」
すると、母は家で作ったものを一つだけ、父は皇から賜ったものと木栖家のものを二つ。兄たちはそれぞれ、家のものと木栖家のものを二つずつ、と皆、バラバラだった。
「私は、咲保さんから頂いたものだけにしますわ」
「ああ、茶なら、試しにそこにあるやつを使ってくれ」
と、父の視線の先に、小袋が無造作に置いてあった。開けてみると、香ばしい香りがふわりと立ち上った。
「ほうじ茶ですの? 番茶かしら?」
「番茶だったか。人から頼まれて、取り寄せたものだが」
父も、内容物をよく知らなかったらしい。珍しいことだ。
「茶を集めている外国人がいて、その方に差し上げるものとして依頼を受けたものの一つを試供品で分けてもらった。入れ方は、普通で良いそうだ。煮出して茶粥にしてもいいらしい」
「特別なお茶なんですの?」
「山の方で自生する茶の木から採れた茶だと聞いた。地元民だけが飲む、希少なものなんだそうだ」
「そうなんですの。なんというお茶なんですか」
「そのままだ。山の茶と書いて、山茶と読むと言っていた」
「山茶……の木?」
文字にすると、同じ椿の仲間である山茶花と混同しそうな紛らわしさだ――そんなことを思いながら、茉莉花は厨房に向かい、ばあやに手伝ってもらいながら用意した。
「まあ、可愛らしい」
咲保から渡された風呂敷を開けば、素朴な笹の葉の包みが出てきた。縛ってある梅結びの水引に引っ掛けるようにして、上に黄色に色づいた銀杏の葉が飾ってある。
「せっかくだから、このまま持っていきましょう」
家で作った餅と下賜された餅は、それぞれの皿に取り分けて黒文字を添える。ばあやにもう休むよう伝えたところで、ちょうど、柱時計が、亥の刻である十時の鐘を鳴らした。居間に戻れば、両親は呆れ顔で、兄の楢司は疲れた表情をしていた。
「木栖は国津神の加護を強くもつ家だと聞いてはいたが、そこまでとはなぁ……規格外としか言いようがないな」
そんな感想も聞かれる。
「木栖家が撤退した跡地を神社にすれば、霊験あらたかと評判になりそうです」
苦笑しながらの梟帥の言葉は、あながちあり得ない話ではない。
「どうぞ」
「では、有難くいただこうか。この一年の無事と火難避けを願って」
「いただきます」
父の合図で、皆がそれぞれの餅を口に運んだ。
「今年の餅は出来がいいな」
そう口にしたのは、父だった。それはようございましたわね、と母が頷く。
「今年はどちらの家だったかしら?」
「確か当道家の持ち回りだったと思うが」
その横で、楢司が「これうまいな」と声に出して言った。木栖家の餅を手づかみして、かぶりついて いる。
「うちよりもあっさりしているけれど、これなら幾つでも食べられるな」
「咲保さんが作られたものですのよ。皇のお餅も、栗と大角豆は木栖家から提供されたものですって。お姉さまが当道家にお嫁に入られた関係で」
「そうなのか」
(あ……)
嬉しい驚きを、口の中に感じた。咲保の作った餅は、懐かしい味がした。子供の頃に感じた味だ。甘すぎない優しい味で、食べただけで心が温かくなるような気がした。香ばしい山茶を一緒に飲めば、素朴な味わいで、大地の恵をそのままいただいているように感じる。慎ましやかだが、贅沢な気分になる。茉莉花は、少しでも長く味わえるよう言葉を口にした。
「栗はまるおさんが、大角豆は暁葉さんが下さったものだそうですわよ。ひょっとすると、栗は猫神さまの浜路さんが集めた栗かもしれませんが……今年は、交じっているそうなんですの。柿は、その浜路さんが持ってこられたものだそうですわ……あら、柿の切り方が大きいわ」
すでに食べ終わった楢司が物欲しそうに、茉莉花の手元を見た。
「暁葉って、さっき話に聞いたお狐さまか」
「ええ、由来まではうかがっていませんけれど、おそらくですが、高位のお狐さまだと思いますわ。見惚れるくらいにお綺麗でしたわよ。人の姿も、白狐のお姿も」
「たぶん、宇迦之御魂神の御使のお狐さまだと思う。アレが出てきた瞬間、神気が伝わってきた」
ぼそり、と答えた二番目の兄の言葉に、一つだけと言っていた母がそそくさと咲保の餅に手を伸ばした。父もまだ一つ目が途中だというのに、取り急いだ。
「まあ、宇迦之御魂神の? すごいわ。だから、こんなに美味しいのね。咲保さんがお料理上手なのも、そのせいかしら」
宇迦之御魂神は、食べ物を司る神だ。稲荷神はその神と同一視されることも多いが、暁葉は神からの宝物を運ぶ御使いだ。その狐から賜った大角豆ともなれば、どれほど縁起の良い物か知れない。
「弱いはずなのに、なんでアレと平気で仲良くしていられるんだろうなぁ……?」
ぼそり、と心底不思議そうに梟帥が呟いた。
「たしかに味は少し違うが、似ているな。味は当道家の方が上品で、洗練されている。木栖家の方はやや庶民的だが、籠められているご神気はこちらの方が強い。どちらも、ささやかでも厄除けはもとより、ご利益まで得られそうだ」
食べ比べた父が、そんな評価を口にした。母は絶句した様子でなにも言わず、ちまちまと大事そうに咲保の亥の子餅を食べている。
最後の一口を食べ終わって、後ろ髪を引かれる思いでいると、梟帥がしげしげと茉莉花を眺めて、なあ、と呼んだ。
「おまえさ、桐眞先輩誘惑して、木栖家の嫁に入らない?」
茉莉花は、一瞬、なにを言われたかわからなかった。耳に入ったばかりの言葉を咀嚼して、飲み込むまでに時間がかかった。
「な……なにをおっしゃっていますの?」
「お、それいいな」
と、楢司までもが言う。
「毎年、これを食べてさえいれば、何があっても、とりあえず食うには困らなさそうだしな」
「木栖の家の氏神は、大山津見神だったか。そこに猫神の加護が加わったなら、海難避けにもなるかもしれないな。うちには願ったりだ」
父までもが、欲深い事を言いだした。
(木栖家の? 桐眞先輩って、咲保さんのお兄さまの桐眞さま?)
心の内で名を反芻すれば、すぐにその姿が思い浮かんだ。あの鹿と対峙していた時の凛々しかったこと!
(嫁……? 妻……夫……伴侶……!?)
あの青年の、桐眞の嫁――共に過ごす己の姿が容易く想像できた自分に、みるみる内に、顔に血が溜まるのを茉莉花は感じた。
「応援するからさ。桐眞先輩はまだ学生だけれど、あと一年で卒業だし、真面目だし、優秀で将来有望だし。妹の咲保さんとは友達だし、向こうも気兼ねないだろ。双方の家にとってもいい話だと思うな」
しれっと、本気とも冗談とも判断つかない言い方で梟帥は続けた。
「『鬼も十八、番茶も出花』って言うし。多少、難があっても、おまえならやれるって」
なんと失礼な! 妹に対してでなくとも言う言葉ではない!
そんなことよりも、こんな気持ちに気付きたくなどなかった。なぜ、今なのか。それも、兄に唆されて気付くなど、なんという恥辱だろう。
「梟帥兄さまの、ばかあっ!!」
「うわ、あちぃっ!」
湯呑み片手に叫ぶ茉莉花の顔は、山茶花の花よりも赤く染まっていた。
了