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108 顧問が最大の障壁〜地続きの指導のススメ〜

先日、依頼されていた原稿で少し言及しましたが、書ききれなかったのでここにしたためます。

学校の部活において、顧問が大声を張り上げて結果論で責め立てる。それに萎縮して余計に生徒たちは動けなくなる。そしてまた、顧問は大きな声で。

良いプレーでは無反応。悪いプレーなら過剰反応。果ては、教えていない現象に出くわした生徒の様子に「わかっていない」とクサして終了。

試合のあとに、もうとっくに過ぎた現象をクドクドとやる。生徒はヘトヘト。

何もこれは特定の誰かをイメージしたものではありません。テンプレートで出てきそうな「部活あるある」を描いたまでです。

顧問はそのチームの一番のファンでないといけないはず。しかも、そこに関わることができるなら、どうやって生徒たちを理想の形につないでやるか。というより、生徒たちの理想の形に近づけてやるか。これが一番の仕事のはずです。

部活動の最大の障壁は顧問のあり方にあります。

子どもの数の減少にともない、部活の加入率も年々下がってきています。

子どもが減るから加入率も減っているのは当然と言えばそれまでですが、何より「理不尽からの撤退」が昨今は顕著であるという肌感があります。

「なぜそこまで言われて、やり続けないといけないのか」

ふと、超然としたこういう主張に、指導者側はなんと返すのでしょうか。
もうとっくに、子どもたちは気づいて、そういう場から去っていっているのです。

数年前、僕がここで主張したことが、いまだに通用しているように思えてなりません。(内容はもう古いものですが、書いていることの端々は僕の考えの根幹です。)

働き方改革の渦に集約されていってしまう、部活動を巡る議論ですが、丁寧に「指導のあり方」をここでは掬(きく)したいのです。


僕は〈地続きの指導〉をここで提案しました。教室とグランドはつながっています。グランドが体育館でも、フィールドでもいい。要するに、教室での〈あり方〉をそのまま部活動でも踏襲すればいいですよ、というものです。

教室で大きな声を出す先生は少なくなりました。出している先生がいるとすれば、そういう趣味の人でしょう。もはや化石となりました。

でも、グランドでは怒声、怒号、強烈な口調が跋扈しています。いまだに。おそらく、全国津々浦々、今日もどこかでそういう場面はあったことでしょう。もうそういうスタイルと離別して、違うタッチでいきませんか。そういう実にシンプルな話です。

この本は2015年に刊行されました。もうちょっとで10年。(もうそんなになるのか…。おかげさまでたくさんの方に読んでいただき、今ではアマゾンで数十円で買えます 笑)

高校の教員になって、初心者として部活に参加している生徒をよく目にします。これはすごく新鮮でした。高校ともなると、良くも悪くも自分の身の丈を感じ取ってしまい、新規参入が難しい。そう思っていました。

ただ、初心者で入ってくる子たちは、少なからず傷ついて入ってきています。もう説明はしませんが、心機一転して、その競技に臨みたいのでしょう。

もうあと数年で完全に消滅するであろう、学校の先生が今のカタチで指導する部活動ですが、教室とグランドは歩いて数分。人格まで変える必要はなく、履物を替えるくらいの気持ちで、生徒と向き合うのが理想だと、僕は強く思います。

生徒と対話する。勝ち負けの話はそのうちの一つです。誰もエラーしたくてエラーしているのではありません。見逃し三振で悔しくて帰ってきているのに、まだやりこめますか。枠を外したシュートで一番悔しいのは生徒です。

「何事にもトライしない」という、最もしてはいけないエラーを誘発しているのは、はからずも大人たちです。はからずも、とは無責任です。しっかり関わる側の責任を自認して、丁寧に関わりたいと僕なんかは思います。

スギモト