特攻の歴史を辿って
バイク乗り 五感で受ける 自然界 温度に湿度 生命の音
2016年夏、ソロツーリング。その頃私は、2年に一度の頻度でソロのロングツーリングを楽しんでいた。ただただひたすらバイクで走る。朝宿を出たら、ガソリン補給とトイレ休憩以外ほぼほぼ止まらず昼食すら取らずにひたすら走る。そんなソロツーが定番だった。田舎の山道、峠道。はたまた海辺を岬から岬へ。ただただ自然豊かな場所をひたすら走る。そんなソロツーを繰り返しいろんなところを走り回った。バイクに乗っていると、受ける風から、音から様々なことを感じる。季節の移ろいをいち早くキャッチするし、虫の音、木々の揺らぐ音、波の音、流れる水音、メットの中を通り抜ける風の音・・・・・
ただ、2016年の夏だけは違った。この年は、「この目で、自分の目で見て、現地に立ちたい」その一心で明確な目的を持って私は、九州の鹿屋・知覧へと走った。普段ソロツーの時にバイクから降りることがほぼない私が、鹿屋と知覧の資料館にて、自分の目で見て歩いた。そんな夏だった。
きっかけは、「女子大生だった私がバイクに乗り始めた理由」でも触れたように、この時も一冊の小説だった。
その小説は、「永遠の0」百田尚樹著。
賛否両論ある小説かとは思う。ただ、私はこの本を何度も読み返した。2度、3度、4度と。1度目はただ、物語に引き込まれて感情のまま「早く先が読みたい 先が知りたい」という思いで突っ走って読んだ。その後は、「少しでも史実を学びたい、知らなくてはいけない」という思いで、感情に引きずられながらも冷静さを心がけて何度も読んだ。そして、溢れるような思いが込み上げてきた。どうしても、この地に立ちたい。自分の目で見てみたい、と。多くの特攻が飛び立った九州南部の知覧や鹿屋。そこから飛び立った隊員たちが最後に見た日本本土が、薩摩富士とも言われる開門岳。それを私もこの目で見てみたかった。
実は、知覧はかなり混んでいてゆっくりと見られる雰囲気ではなかった。だが、200円の貸出音声案内がとても良かった。私としては鹿屋のほうが、人がほとんどおらず、ゆっくりと気兼ねなく見て回れて、勉強になった。特攻に出た人が、最後に見た本土、開聞岳。開聞岳が見えている間は心には未練が。でも、開門岳を背にし、それが見えなくなるともうそこからは別次元の状況だ。想像するだけで胸が痛い。
本土最南端の始発・終着駅がある枕崎に友人が住んでいたので、枕崎に泊まり、枕崎から開聞岳に向けて走っていく朝。段々と近づいてくる開聞岳を見てバイクの振動を感じながら、特攻機に乗って本土最後の景色がどんどん近づいてくるのをどんな気持ちでみていたのかなぁ、と思いを巡らせながら走った。帰りのフェリーでは、遠ざかる鹿児島を見ながら、私は大阪に着くけど、もう二度と本土に戻れないという思いを抱え、遠ざかる景色を見ていた若い人たちはどんな気持ちだったのかなぁと。いろいろ考えさせられるソロツーだった。
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