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仮説と学び


考えたきっかけ

サービス開発する中で、私が感じていた課題感は「学びが無いな、、」で、ミーティングで「学び学び学び、、学びが大事」という趣旨の話をしていたら、

・「学び」の定義は?
・「学びが無い」ことってないんじゃないの?


というご質問があり、「学び」「学びが無い」について考える機会ができました。


「学びが無い」とは?

「学びが無い」状態とは、次の3つの状態ではと考えました。

①経験を通して知識や知恵を得えれていない
②一部の人だけに「学び」が閉じている
③「学び」が資産になっていない

①〜③について。

①経験を通して知識や知恵を得えれていない
まさに、学びがない状態です。
・数字の変化のみを見て終わる
  例)リテンションが30%から32%に上がりました
・数字の変化を見て、成功失敗を判断して終わる
  例)リテンションが30%から32%に上がったので、施策は成功しました
などの場合です。


②一部の人だけに「学び」が閉じている
一時的に「学び」はあるものの、
・分析をしている人だけが分析結果を見ている
などの場合です。この場合、
・チームの「学び」にならない
・複数の人が同じ「学び」に取り組み、「学び」の重複が発生 
などの問題があるなと思います。


③学びが資産になっていない
これも「学び」はあるものの、
・ミーティング中に、なんとなく話して終わる
・情報が様々な場所に、様々な記録のされ方をしている
などの場合です。この場合、
・「学び」記録が残っていない
・どこに「学び」情報があるか分からない
・「学び」を後で見返そうにも、理解するのが大変すぎて面倒くさくなる
などの問題があり、その結果、何度も同じ「学び」を繰り返すことになりがち、「学び」が資産になっておらず「学び → 忘却 → 学び → 忘却 ・・・ 」を繰り返すことになります。


「学び」有る無しイメージ図

「学びが無い」とは?を考えているうちに、「学び」有る・無しイメージが浮かんだので図にしてみました、こんな感じです。

スクリーンショット 2020-05-02 16.39.27

「学び」有る イメージ
時には成果が出ず、もがき苦しみつつも確実に前進する

「学び」無し イメージ
なかなか前進しない、運任せな感じ
この場合、頑張って高速で施策などを回しても、高速空回りになりがち

この図を作成していて、

「学び」とは前進すること

でもあるなと思いました。


「学び」までのステップ

①(施策、分析などの前に)どこかに仮説を置くこと
② 結果をちゃんと見ること
③「仮説と結果の差分」を考えること(+気づき)

ではないかなと考えました。①〜③を順に見ていくと次のような感じです。


①(施策、分析などの前に)どこかに仮説を置くこと

どこかに仮説を置きます。

スクリーンショット 2020-05-02 16.51.49


② 結果をちゃんと見ること

結果を、分析するなどでちゃんと見ます。

スクリーンショット 2020-05-02 16.54.39


③「仮説と結果の差分」を考えること(+気づき)

「仮説と結果の差分」を見て、その理由を考えます。

スクリーンショット 2020-05-02 16.57.55


結果、また仮説が出たりします。本題とは少し離れた「気づき」もあったりしますが、それも「学び」認定しておきます。


ちなみに、ユーザーインタビューとかでも同じ感じではないかと思います。質問をする前に、この人だったらこういう回答が返ってくるだろうと仮説を置き、回答との差分を見て「学び」を得るという感じです。


もし、仮説を置かなかったら。。。

評価しにくい。。。学びが得にくい。。。仮説を置いていないと何が見るべき「結果」なのか?どこに「結果」があるのか? さえも分からない感じで、結果の価値が薄まる感じです。

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「学び」が、有るとどうなる?無いとどうなる?

学びが有るとどうなる?
・仮説の精度が上がる
・仮説の信頼度が上がる
・皆の仮説レベルがそろってくる
・次のアクションを考えやすくなる
などなど、良いこと盛り沢山!


学びが無いとどうなる?
・なんとなくやっているだけになる
・たまたま当たったり外れたり、運任せになる
・成果が出にくく、頑張りが報われにくくなる
・一部の人の仮説精度だけが上がり、差が出てしまい、
 説明コストが爆増、意思決定のスピードと精度が落ちる
などなど、大変です。



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