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仕事を辞めました(めんどくさい自分語りが入ってます)

※この記事は気づけば途中から自分語りが入っていましたのでちょっとめんどくさい記事となっています。ご了承ください。


2月末で退職予定だった仕事を早めに退職することになりました。
まだ退職手続きが終わってないので、一応まだ正式に退職できていないのですが、、、

2月いっぱいまで頑張る予定が・・・頑張れませんでした。

もうね、とってもいい会社だったんです。
みんな本当にいい人で、あったかくて程よく緩い雰囲気で、目標に向かってみんなで頑張ってて。
小さい会社でしたし、交通費とか支給されなくて痛いところもありましたが、
派遣元も派遣先も大好きでした。

こんないい会社で働いていても、適応障害の症状が出てしまうということに
もう「絶望」という感じでして。
本当に人生詰んでいるのですが、
こんな離職しまくりの人生で
もう就職・退職って本当にエネルギーを消費するというか。
全て自業自得なわけで、どうしようもないのですが。

どうやら私の第一印象(職歴以外)はそこまで悪くないらしいので、近所のパートであればどこかで働けるのではと思ってはいるのですが、
そこがもう逆に厄介と言いますか。(誰かこの感じ共感してくれる方いますか?)



どこかに雇ってもらうなんて申し訳なさすぎて、
今クラウドワークスで案件を申し込みしてトライアルを受けたりしているところです。
周りに人が沢山いたり誰かが怒られていたり注意されていたりするとすごく疲れてしまったり、周りの空気感とかが気になって仕事に集中できないタイプなので、今は「家で一人で静かに仕事に集中できる」という環境を手に入れるべく頑張っているところです。

私は人より体力がないなあと思ってずっと生きていました。
親にも「あんたは体力がない」と言われていました。
でも、それは無理して人と沢山関わることでかなりのエネルギーを消費していたんだなあと。

友人と繋がっていたSNSはほとんど辞めました。(本当にほんの一部の、それもほとんどが遠い県外に住んでいて、お互いが今後会うこともないだろうとうっすら感じている友人と繋がっているTwitterだけはやっていますがいいねを押し合うぐらい)
おかげさまで遊びやお誘いの連絡はほとんどゼロに近い状態となりましたが、とってもいい感じです。


元々一人で静かに本を読んだりすることが好きでした。


唯一人生で長続きしたのは、
小学校1年生〜小学校6年生まで続けていた絵の教室の習い事でした。
母がどうやって見つけてきたのかはわかりませんが、
街の中心部にある少し古い雰囲気のビルの一室の小さなアトリエで
学生さん(当時は大人ぐらいに見えました)がデッサンしているスペースから少し離れた奥のテーブルで
一人机で黙々と絵を描いていました。
たまに同じぐらいの年齢の生徒さんもいましたが、
基本小学生ぐらいの年齢で通っているのは私ぐらいだったので、
誰かと喋ることもなく、黙々と描いては時々先生にアドバイスをもらうような感じでした。(時々飴玉もくれました)
6年も通っていたのに私には全く絵のセンスはなく
学校でも自分の作品が何かに選ばれたりすることも全くなかったし、
私の同級生で、私がアトリエで絵を習っていたなんて知っている人はいなかったんじゃないかという感じですが
特に嫌だなあとか、行きたくないなあとか辞めたいなあとか強く思った記憶もありません。


私はいつの間にか必要以上に「誰かと関わっていなければいけない」と思い込んでいたように思います。
それは学校や社会で安心して過ごすための私なりの対策だったかもしれないし、それによって得られた経験や楽しかった思い出は沢山あります。
でも、今後の人生にそれはもう必要ないかなあと感じています。

本来の自分に少しずつ戻っていけば、適応障害の症状も起こることはなくなるかなあと予想しています。

家計のこともありますし、やっぱり外で稼がないと、と仕事を始めるかもしれませんが、
本来の自分に少しでも合った仕事を選択できるかなあと思います。






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