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サブカルが一軍だった平成初期の話③〜ヤンキーとギャルの間で〜

1989年〜90年、私が中1だった時の中3の様子を中心に書いた①はこちら。1年間で急激にヤンキーファッションが廃れていった時期だ。

1989年〜90年、私が中1〜2年くらいの時に触れた文化(TV/雑誌)を中心に書いた②はこちら。

引き続き、1989年〜(平成元年〜)に触れた文化とそれが女子中学生に与えた影響について書いていきたい。

中学1〜2年生時代(1989年~1990年・平成元年〜2年)の文化

・アイドル

バンドブームに伴い「アイドル」ダサくかっこ悪いものになっていき、女子で「女性アイドル」のファッションに憧れたり真似したりというのは見られなくなっていった。

この時期の女性アイドルで女子中学生にも人気があったのはWinkと、WinkをパロったやまかつWinkくらいだったのでは。小泉今日子は「学園天国」「見逃してくれよ!」と売れていたがすでにアイドルイメージではなくなっていた。やまかつWinkに関しては人気というかやまだかつてないテレビが人気あったので認知度があった。

やまかつWink、1990年7月デビュー

例えば実在のアイドルとタイアップしたアニメ『アイドル伝説えり子』(1989年4月〜1990年3月)とそれに続く『アイドル天使ようこそようこ』(1990年4月〜1991年2月)があったものの、女子中学生向けではなく女児アニメということもあり(実際見てたのはおっさんかもしれないがそれはさておき)、ようこちゃんやえりこちゃんはタイトルになぞらえ揶揄われる扱いされたり、女性アイドルを好きなのは子供っぽいムードであった。

1989年9月リリースの「真剣(ほんき)」で新人賞総ナメ。
私は田村英里子の顔も彼女が当時よくやってた三つ編みを横でお団子状にまとめた髪型も「好きよ」と「真剣」の曲も好きで、つまり結構好きだったがアニメ見たり音源を買うようなファン度ではなかった。

ribbon、CoCoあたりも、夜ヒットやトップテンなどの音楽番組はもちろん、②のTVで書いたような人気バラエティ番組やスーパージョッキーなどに出たりアニメに曲が使われたりがあるので認知度はあるものの、女子中学生が憧れたりお手本にするような感じではなかった。

スーパージョッキー(1983年1月〜1999年3月)で、THEガンバルマンが熱湯コマーシャルになったのが1989年頃らしい。音楽番組が減ってからはアイドルはこの番組で見るもののイメージ。

ちなみに「パラダイスGoGo!!」(1989年4月〜1990年3月)は、途中から関東ローカルになっており私の地元では放送してなかったので乙女塾自体は当時自分のまわりでは知名度ほぼない。さらにいうと「オールナイトフジ」(1983年 - 1991年)も地方ではやってなかったので、実は当時の女子大生ブームというのはピンときてなかったし、“あの伝説の深夜番組!”とか“あの頃のとんねるずが!”とかいわれても知らんがな感ある。

後に1980年代末から1990年代前半は「アイドル冬の時代」と言われることになるように、世間的にも華々しい活躍をしてるとはいえず、バンドブームの裏で古くなっていく歌番組や旧態依然とした芸能界っぽい世界の中にいる女性アイドルは女子中学生の憧れの対象ではなくなっていた。

1987~88年、小学校高学年の時に女子に爆発的に人気のあった光GENJIも、中学生になると周りで急激にファンが減っていき、クラスの女子人気も男性アイドル<バンドマンになっていった。かくいう私も「剣の舞」(1988年10月リリース)を最後に光GENJIの思い出がなくなる。
ただあの時期の光GENJIの人気は凄まじく、アイドル雑誌を読んでた子も多かった故、光GENJIに限らず80年代後半ジャニーズに詳しい同年代女子は多い。スケートボーイズ→SMAP&平家派の流れやCHA-CHAの不思議な立ち位置をリアタイで見ているのだ。
もちろんその頃からずっとSMAPファンだったり、所属が色々変わってTOKIOとなった国分太一くんオンリーユーだったり、そういった一途な人も世の中には大勢いるだろうが、とりあえず自分が中学生の時はジャニーズファンというのはクラス内ですでにメジャーな存在ではなくなっていた。そしてジャニーズ以外にめぼしい男性アイドルというと幕末塾なのだが…さすがに地方女子中学生にとってジャニーズ以上の訴求力はなかったと思う。

私も幕末塾はほぼ記憶にない…。ジャニ以外の男性アイドルだと、1986年〜87年に活動した息っ子クラブのほうがまだ覚えてる。

・クラスで女子に人気の男性有名人

では当時女子中学生に人気があった男性は…?となると、これが特別際立って人気があった人というのが思いつかない。
バンドブームで確かにジャニーズよりジュンスカやブルハやユニコーンを聴いてる子が多かったし、BAKUやKUSUKUSUが好きな子もいた。たまの「さよなら人類」はきっとクラス全員が歌えた。筋肉少女帯もおもしろバンド枠としてだが知られた。レピッシュはCMで繰り返しパヤパヤを耳にしたし、なかよし連載ひうらさとる作品「レピッシュ!」(1988年4月〜1989年9月)にはマグミというキャラもいた。
「夢逢え」のバッハスタジオきっかけでアンジーの「天井裏から愛を込めて」THE BOOMの「星のラブレター」の曲を知る子が増えた。
兄姉がいる子の影響で80年代から人気があったバンド、BOØWY、レベッカ、パーソンズ、(バンドじゃないけど)尾崎豊なども聴かれていた。ブルハ好きな子はラフィンノーズやCOBRAも聴いた。ZIGGYも「GLORIA」がドラマの主題歌となり大ヒットした。
XやBUCK-TICK、BY-SEXUAL、AURAといった、まだヴィジュアル系という名前がつく前のお化粧系バンドのファンもいて、切り抜きを下敷きに挟んでいたように思う。BY-SEXUALはなんかpopteenとか若者雑誌にもよく出てたし今思うとそういうプロモーションで中高生に人気だそうとめちゃ推されてたんだと思う。
私より少し年齢が上の80年代宝島世代の人から見れば、相当メジャーどころなラインナップにうつるであろう。バンドブームといってもキャプテン・トランス・ナゴムレコードを深く掘る中学生がゴロゴロ現れたわけではない。
当時東京近郊の中学生でバンド好きだった子はホコ天行ったりライブハウスに行ったりもできたろうが、地方だとそうはいかない。実際都会でもそこまでしてた中学生は一握りではなかろうか。
ただ、この時代メジャーどころとはいえ上記のような一部80年代宝島サブカルチャーの流れにあるバンドが地方中学生の耳にまで届くほどバンドブームが起きており、基本ミーハーで流行に敏感なクラスの一軍&そのフォロワーが聴いているのはざっくり日本のバンド系であったことは間違いない。
ついでだが、聖飢魔II・米米CLUB・爆風スランプは知名度あるし曲も知られてたが女子中学生がキャーキャー言ってファンになるような枠ではなかった。

そして女子に人気の男性に話を戻すと、バンド系・アイドル系以外だと的場浩司や仲村トオル、柳葉敏郎、三上博史、吉田栄作など当時のドラマに出ていた俳優が好きな子もそれぞれきっといただろうが、やはり特別人気が高かったという人物がピンとこない。
トレンディドラマの俳優より少し若い世代の男の子を排出するジュノン・スーパーボーイ・コンテストが1988年より開催されていて89年に武田真治がグランプリに輝いているが、武田真治がフェミ男でブレイクするのはもう少し先だ。

思い出せないので中学の同級生に中学校の頃女子に人気あった有名人誰がいたっけ?と問うてみたところ、「●●ちゃんは××が好きだったな〜」という個人個人の話は出たものの、やはり「多数の女子に人気だった」人物が一切出てこなかった。

同級生とのやり取りの中で、クラスの女子が好きだった有名人で出てきたのは、菊池健一郎、加藤晴彦(まだ世に名が知られる前。中学生日記に出ていたカッコいい子!と猛烈に好きになった子がいた)、嶋大輔(この頃は多分ツッパリイメージでは無いが、周りは「なんで嶋大輔?」とは言っていた)、竹内力(1991年に始まったドラマ「天までとどけ」の先生役を見て)、えのもと(びんびんでの野村宏伸はこちらの名前で認識されがち)、ダンス甲子園の服部、BAKUのVo.、バイセクの緑髪、ジュンスカのBa.、岡本健一、ウッチャン、大江千里…。

別にクラス内で推し被り敵視・同担拒否という制度は無かったはずなのに、記憶にある限り本当それぞれだった。小学校の時はあっくん派かーくん派などあったのに派閥のつくりようもない。
ちなみにこの頃当然「推し」なんて言葉はなく、「××くん命」「△△一筋」などと表現されていた。ヤンキーが下火になる中こういったヤンキーぽいマインドも失われていったのか、中1〜2女子という多感な年頃がそうさせるのか、みんな学期ごとに推し変していたような印象すらある。

もちろんクラス女子全員の好みを知り得ないし、隠れてファンだったというものもあるだろうし挙げたのはほんの一部ではあるが、女子中学生にはプロフィール帳という文化があるため、なんとなく他の子の推しが記憶に残ってるというのがある。

プロフィール帳、2000年平成女児文化とか紹介されてる場合あるけど、全然1989年の平成元年にはもうあったからね!中学入学してすぐ女子でクラスの女子中に回しあってたから。そこでお互い好きなものを知り、仲良くなるのだ。

話が逸れてしまったが、この1989年~1990年はバブル期でオトナの世界ではトレンディドラマ俳優が人気あったのかもしれんが、女子中学生内での人気有名人は混沌としていたようだ。
といいつつこの辺は記憶違いや忘れてること多そうなんで、また思い出したら追記したい。

・ラジオ

この頃のオールナイトニッポンのパーソナリティを紐解くと、松任谷由実、デーモン木暮、とんねるず、大槻ケンヂ、藤井郁弥、森若香織、伊集院光、川村かおり、ウンナン、渡瀬マキなどがいる。
だが、クラス内でラジオ番組の話をした覚えが全然ない。深夜ラジオが好きで聴いてる子はいたのだろうが、とりあえずクラスで広く話題になるような番組は無かったかと思う。
タイトルでサブカルが一軍だった平成初期って言ってるくせにオーケンや伊集院のラジオ聞いてる奴が一軍だったって話じゃないのかよ!と思った人がもしいたらごめんなさい。今後そんな話にはなりません。
正確には「クラスの一軍が触れていたものがサブカルっぽかった平成初期」くらいに捉えてください。

・漫画

雑誌のところでも触れたが、漫画雑誌を定期購読している子が多くはなく、雑誌というより作品単位で流行ることが多かったが、王道的には中学生になると「りぼん」から「別マ」にうつり、紡木たく・いくえみ綾あたりが、“子供っぽく無くちょっと背伸びして読む漫画“として人気が高く、一軍女子の描くイラストや書き文字はこの影響が強かった。

いくえみ綾「彼の手も声も」より。

先ほど話題に出したプロフィール帳や授業中の手紙回しなど、スマホなんて無い時代、友達同士で文字を書いて連絡し合う行為が盛んだったため、書き文字のオシャレ度は重要だった。
お習字を習ってて字が綺麗な子もこういった崩した文字を練習していた。オシャレな描き文字を練習する…男子中学生にはない発想ではなかろうか?
おニャン子世代の丸文字は、自分たちが小学生の時に使っていた文字なのでその頃には超絶ダサく子供っぽいものという意識だった。

フォントにもなった丸文字。こんな文字使うのは小学生までよね〜と、中学生の時にはもう廃れていた。

また、いくえみ綾は別マで「ベイビーブルー」(1990年12月~)という作品で奥田民生をモデルにした男の子キャラを描いていた。多田かおるは「ミーハー♡パラダイス」(1989年9月〜90年1月)で、バンギャを主人公にした漫画を描いた。バンドブームに伴い少女漫画で描かれるカッコいい男の子像も変化していった…などとという話は個人的には大好きなのだが、掘り始めれば長くなるのでやめておく。

wikiによる公称部数だと1990年で、
別冊マーガレット…160万部
別冊フレンド…80万部
別冊少女コミック…60万部
花とゆめ…45万部
LaLa…38万部
となっている。公称なのでどこまであてになるかは怪しいが、当時の体感としても数字としても別マが覇権だったので間違いなさそうだ。

また、上記漫画雑誌は高校生が主人公の作品が多いだろうが、間違いなく読者層は中学生が中心である。女子中学生は基本同年代の恋愛ものは読まない。中高生という背伸びしたい年頃の女子は、少し上の年齢向けにパッケージングされたものを好むというのはいつの時代も共通じゃないだろうか。
ちなみにその頃クラスの男子は、小学校の時と変わらずドラゴンボールを読み続け、女子にブヨンやギランというあだ名をつけてからかっていた。(←これは小学生時のエピソードだったかも)若い教師になにかの選抜メンバーを「ギニュー特戦隊」と名付けられ、その大人と思ってた教師が俺らと同じ漫画を読んでるという事実に素直に喜んじゃってて、「コイツらちょろいな…」と思わされるほど子供っぽく見えた。

調べてて思い出したけど、クラスの女子内で流行る漫画って連載中を追うよりも完結した作品のことが多い。友達の姉のとか親戚や近所のお姉ちゃんが持ってるパターンだ。少女漫画は長期連載作品が少ないので貸し借りしやすい。「闇のパープルアイ」(1984年〜1986年)も週刊少女コミック掲載時を全然知らないが中学生の時流行った。
やはりお小遣い問題もあり、小学生の時よりファッションに興味の比重がかかる分、漫画にお金を使わなくなるというのはある。雑誌も漫画雑誌よりファッション雑誌を優先する。
今思ったけど、女の人は高校生以降になると小中で読んでた漫画を人に譲りがちだから、少し前の漫画が出回るのかも。

と、そんなお年頃女子中学生の事情の中で、漫画に比重を置き続けるとはどういうことか、説明せずとも想像がつくだろう。
とりあえず、漫画方面に比重を置き続けたタイプはクラスの中心ではなかった。この辺りの話も長くなるし本題とはずれるのであまり触れないこととする。参考までに、基本的にTVアニメは子供向けで、パトレイバーや銀英伝などのOVAのリリースが盛んだった時期である。
また1989年夏の幼女誘拐殺人事件犯人逮捕の影響で、漫画・アニメ・特撮などを趣味とする人間(おたく)に対する世間の風当たりが非常に厳しくなった。この時期にすでにいい年齢だったおたく趣味男性はさぞや肩身の狭い思いをしたことであろう。中学生は漫画やアニメが好きでも普通な年齢であり隠さなくていいように思うが、やはりひっそりと過ごしていた印象だ。
1995年の新世紀エヴァンゲリオンまで、つまり私の中高時代はまるっとアニメが一般的な話題に出てくることは無い時代であった。

・ゲーム

1989年4月にゲームボーイ、1990年11月にスーパーファミコンが発売されたが、兄や弟がいるわけでもないのにゲームに注力する女子中学生は少数派だったように思う。
小学生の時は女子も友達の家に集まってファミコンに興じていたものだが、中学生になってから女子内でゲームの話題が盛んに交わされた記憶がない。これも、ファッションに比重がかかった結果、GBやスーファミへの変換期をきっかけにゲームを切り捨てた女子が多かったのでは。
男子は多分集まって家でゲームで遊んでたろうし、ゲーセンでのアーケードゲームも盛んだったと思う。

・映画

アイドルが下火な時代ということもあり、自然中学生層に向けた映画自体の勢いがなかったようだ。「山田ババアに花束を」(1990年)なんてもろ我ら世代向けの映画であり、ティーンズハートの原作は読んだことある子多かったろうが、観に行こう!という話にはならなかった。
同じく1990年公開の「ゴースト」は、デートで見にいった同級生の話をちょいちょい聞いたり、ろくろのシーンがエロいと話題になり、男女ともに友達同士で観に行く子たちもいた。
大人に大ヒットする映画は普通に話題になるが、中学生向けでこれというものはなかったように思う。

次回、1991年〜1992年(平成3年〜4年)の中3の頃の話を進めていきたい。
正直、中3というのは中1と全然違う。この年頃の2年は大きく、小学生の延長の中1初期と、もう女子高校生手前気分の中3とは精神も行動範囲も違うし、体型がそもそも別人レベルで違うこともあるのだ。

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