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(育児エッセイ)息子に母として伝えたいこと。それは自分の母に自分が伝えてほしかったこと。

「お母さんはどんな人ですか?」

「お母さんは、いつも頑張っている僕を褒めてくれる人です」

これは5歳の息子が通う幼児教室での一幕。この日は夫が参観に行った。息子は小さな子ども用の椅子に座りながら、先生からの質問に、きちんと相手の目を見てこう答えたらしい。

この話を夫から聞いたのは、幼児教室が終わって、夫と息子が家に帰り、家族4人での夕食が始まった19:30くらいのことだった。

テーブルにはご飯と味噌汁、そして野菜炒めが並んでいる。湯気がゆっくりと立ち上るのを見つめながら、私たちは「いただきます」と食事を始めた。

この話を聞いた時、まず私は「なんで嬉しい答えなの!」と喜んでいた。
なぜなら、私は日頃から、結果でなく努力のプロセスを褒めることを意識して、息子に接していたからだ。

私の思いが届いている。

そう思うと、胸の辺りがじんわりと暖かくなっていくのを感じた。

それは夫も同じだったようで「素敵な答えだったね」と息子と話している。

ちなみに同じクラスには他にも5人の子どもたちがいる。

「お母さんはペーパーを頑張った時に褒めてくれる人です」



「優しい人です」

という答えもあれば、

「餃子を作ってくれる人です」と言う答えもあったそうだ。

餃子に関しては、私は密かにその子のお母さんに尊敬の念を抱いた。ご存知の通り、餃子は作るのが非常に面倒くさい。
私が用意した「無洗米、レトルト味噌汁、カット野菜による野菜炒め」の夜ご飯とは、料理のレベルが段違いだ。餃子は私のレパートリーにはない。

話を元に戻そう。
午前0時を回った頃、私はナイトルーティンで、マッサージ機に肩を揉まれながら、幼児教室での出来事を思い出していた。

そこでふと思った。

「お母さんは、いつも頑張っている僕を褒めてくれる人です」

この答えは、彼の未来に影を落としてしまう危険を孕んでいるのではないかと。


私は努力して、目標を成し遂げることに快感を覚えるタイプだ。大学受験や就職活動などの成功体験を重ねれば重ねるほど、その傾向は強まった。
そしていつしか、自分になしえる理想通りの努力を行っていないと、不安になるまでになっていた。努力をしていないと自分に価値がないような気さえしていた。

だが、人生いつも理想通りの努力ができるわけではない。
出産、育児、病気、介護。長い人生色々な出来事があり、努力したくてもできないこともある。

子どもを産んでから、私は仕事において産前と同じような自分が理想とする努力ができなくなった。
その時、私は思った。
「自分には価値がないな」と。

そんな私を救ったのは、夫の愛だった。
「はぁ? 惚気はじめるの?」と思った人もいると思うが、ここで読むのをやめないでほしい。惚気話なのは認めるが、すぐ終わるから。

彼は、私がどんな状態になっても態度を変えなかった。大切な家族として大事にしてくれた。

そこでやっと思えたのだ。
「私は息をしているだけで価値がある」と。

これは、私の人生におけるターニングポイントだった。私の「努力しなければ価値がない」という呪いを夫は解いた。この時、私は30代半になっていた。

マッサージ機が私の肩をゴリゴリと揉む。

「お母さんは、いつも頑張っている僕を褒めてくれる人です」

この答えは私の囚われていた「努力しなければ価値がない」という呪いに通じるものではないのか。

一方で、努力はやはり大切だと思う。成長するためにコツコツと何かに取り組み、できるようになる。この経験は、5歳の息子がこれから大きくなり、新幹線博士や新幹線の運転手、そして警察官という夢を叶えるためには不可欠なものだ。

一体、私は息子にどんな母親だと思われたかったのだろう?
答えの出ないことを考えているうちに、15分経って、マッサージ機が自動で止まった。私はコップ一杯の水を飲んで、その日は眠りについた。

翌日、幼児教室へ続く道を息子と手を繋ぎながら歩いた。春の風が私たちを優しく包む。だが、私の頭の中には、昨日のことが渦巻いていた。

私は子どもにどう思われたいのだろうか。
努力するから褒める母親で良いのだろうか。

息子の手の温もりが、春の陽気の中でも冷たい私の手を温める。

「違う」

私は「どんな僕でも愛してくれるお母さんです」と息子に思われたいのだ。
夫が息をしているだけで私を愛してくれているように。

私は温かい息子の手を強く握り返して、ゆっくりと話し始めた。

「あのね。ママは頑張っているかっちゃんをとてもすごいと思っているよ。でもね、頑張っても頑張らなくてもパパもママもかっちゃんのことを愛しているよ」

言っているうちに声が震えてくる。目頭が熱くなってくる。目の前が滲んでくる。

その時思った。
「ああ、私はこれをお母さんに言われたかったんだな」と。

私の母は優しい人だった。
母もきっと私が努力などしなくても、息をしているだけで愛してくれていたと思う。だが、努力をしてさまざまなことをなしたからこそさらに愛してくれていたのだとも思う。母は8年前に亡くなった。真相はお墓の中だ。

もしも母が私が小さい頃から「頑張っても頑張らなくても、お母さんは結衣子のことを愛しているよ」と言ってくれていたら、私は呪いにはかからなかったかもしれない。

息子に母として伝えたいこと。それは自分の母に自分が伝えてほしかったことだと思う。

目から一粒の涙がこぼれ落ちそうになる。その時だった。

「ゴミ箱倒れてる!」

息子が駅近くの焼肉屋の目の前にある灰色の大きなゴミ箱を指差した。

「誰かが倒したのかな? もしかして悪い人が蹴ったのかもしれないね。でもその悪い人、足の指の先が痛かったと思う」

突然、使い古されたゴミ箱について熱弁を振るう息子。

あれ?
私の大切な「どんな君でも愛しているよ」というメッセージは?どうなったの?

こぼれ落ちそうだった涙が、一瞬で乾いた。

でも今日のところはこれで良いのかもしれない。

「努力する君は素敵。でもどんな君でもママは愛しているよ」

息子はまだ5歳。
繰り返し伝えていけばいい。

そしていつか、彼の人生に困難が訪れて、頑張れなくなった時に、私の言葉を思い出してほしいと、倒れているゴミ箱の横で切に願った。

確かに、お母さんに生前「ありのままの結衣子を愛しているよ」と言われていたら、私の人生の一部は変わっただろう。

でも、もしそう言われていたら、私は息子に今日言ったことは言えなかったかもしれない。
そう思うと、私の呪いも無駄ではなかったと思う。

子育ては、自分の育ち直しかもしれないと、ふと思った。

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