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【目の色】 5歳の息子の見る世界

駅から家まで15分。私は駅からの帰り道に息子と話すことが好きだ。息子の見る世界は、私の見ている世界とは違う。

ある日、なぜか目の色の話になった。
「どうして目の色って人によって違うと思う?」と私は尋ねる。

「うーんとね、生まれる時は色々だと思う。黒や茶色、青や赤、紫やピンク。いろいろな色があると思うんだ」
「そうなんだね。じゃあ、なんでかっちゃん(息子の愛称)の家族やお友達には、黒い瞳の人が多いと思う?」
「うーん。。。きっと、ビルがそばにあると黒くなるんじゃないかな」
「ビルがそばにあると黒くなるの?」
「違うよ」
息子は確信に満ちた顔をしている。
「黒くなるんじゃなくて、黒っぽくなるの」

私は続けて尋ねる。
「世界にはね。緑色の瞳や青い瞳の人がいるんだよ。それはなんでだと思う?」

「えーっとね。平原の中で生活していれば緑っぽくなって、海のそばで生活していれば青っぽくなると思う」
「赤の色の瞳はどうやってなると思う?」
「りんごの離乳食をいっぱい食べれば赤っぽくなると思う」

「そうなんだね。じゃあ、質問なんだけど、田舎にすむおじいちゃんは、緑色ではなくて、黒色の目をしているけど、それはなぜだと思う?」
「うーん。黒じゃなくて、ダークグリーンなんだよ」
「それはきれいだね」
「うん!」

驚いた。
インターネットで調べてみると瞳の色は遺伝子で決まるらしい。その意味において息子の回答は間違っている。

だが、瞳の色を『個性』に置き換えると、どうだろうか?

もともと一人ひとり違うカラーを持ち、それが育つ環境によって、さらに色が付け足されていく。

「生まれか」「育ちか」論争はあるけれど、息子の考えは真理をついていると思った。

中学時代、私は厳格な女子校に通っていて、人と違うことは、排除の対象だった。

けれど、人はもともとカラフルなものを持っていて、育っていく過程でさらにカラフルになる。

息子の見る世界。

カラフルなものがカラフルであって良い世界。
そこに区別や差別はない。

息子の見る世界。
きっとみんなはじめはそう思っていたのではないか。
私たちはいつから、違う色を排除するようになってしまったのだろう。

息子の見る世界。
この世界は温かい。