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バレーボールのルールを人類学的に読み解く

球技とは贈与の反復である 

 先日、東京オリンピックの男子バレーの決勝戦を見ていた。ROC(ロシアオリンピック委員会)とフランスの一戦はフルセットの大激戦となり、最終的にはフランスの勝利となり、大会は幕を閉じた。今大会は、男子チームが29年ぶりに予選を突破するなど、自分のようなバレー好きには象徴的な大会であった。そして、そんな大会で多くのバレーの試合を見ていて、ふと気づいたのであるが、バレーボールは「贈与」の反復運動であり、極めて人類学的にみると面白いルールに基づいている。

 おそらく、ここまででは何を言っているのかさっぱりわからないと思うので、説明するのであるが、最初にこのような着想は内田樹氏の『先生はえらい』に収録されているサッカーに関する考察から来ていることを記しておく。内田氏によると、サッカーとは「ボールを協働して自陣から敵陣に贈る」ことを基調にし、「ボールをうっかり受け取ってしまったチームは失点する(ボールをうまく贈ることができたチームは点を取れる)」というスポーツなのである。バレーボールも似たようなルールである。バレーボールもやはり、「ボールを協働して自陣から敵陣に贈る」ことを基調にし、「ボールをうっかり受け取ってしまったチームは失点する(ボールをうまく贈ることができたチームは点を取れる)」というスポーツなのである。サッカーではゴールの区画にボールを放り込むことを「ボールを受け取った」状態とカウントし、バレーボールでは9m×9mのコートにボールが落ちることを「ボールを受け取った」状態とカウントしている。そして、どれだけボールをたくさん贈ったかいなかで、勝敗が決まる。今回は、さらにバレーボール特有の反則を仔細に見るとともに、そのルールもまた人類学的に非常に面白いことを述べていきたいと思う。


 そもそも論ではあるが、少ないコストで多くのリターンを得ることを根本精神とする資本主義やビジネスの社会にどっぷり浸かった現代の人間にとって、「ボールを多く受け取ってしまった」チームが負けるということは、非常に不思議な話ではなかろうか。多くの人は球技のルールに何の疑念も感じたことはないとは思うが、普通に考えると、もらえるならば、モノはもらえるだけもらった方が得なのではないか。そう考えると、ボールを自陣で受け取れば受け取るほど負けに近づくスポーツのルールは、根本的に資本主義の精神に反するようにも思える。


贈与にまつわる人類学的知見

 しかしながら、私がレヴィ・ストロースやマルセル・モースという人類学の大家たちに教えてもらったことを総合すると、人類にとっては、実はボールをたくさん受け取ることを得とする感覚自体が実は異常な感覚であることがわかる。このような話はマルセル・モースの『贈与論』に多く記載されており、結論を先取りするならば、人類学的には社会というものは贈与(や交換)を基調にして成り立っているということである。マオリ族では、モノを贈与された場合に、モノをさらに別の人に贈与しないと、そのモノに宿る「ハウ」という霊的な力により、贈られた者は命を落とすという神話的な観念が存在する。異常に聞こえるかもしれないが、このような霊的な観念により、人々はもらったモノをまた誰かに譲り渡し、無限に贈与を繰り返すという運動をし続ける。
 では、なぜマオリ族をはじめとする多くの未開地域の民族は贈与の運動を繰り替えすかと言えば、それは贈与の繰り返しにより、人々を結びつけ、社会の紐帯を形成しているということが人類学的には答えとされている。贈与が関係性を生み出し、社会の紐帯を作るということは理解が難しいかもしれないが、これを読んでいる人で、学生時代に好きな子に話すきっかけを作ろうとCDや本を貸した経験がある方はいないだろうか。恥ずかしながら、私はあるのだが、これは今考えてみると贈与を通じて、相手と何らかのつながりを求める行動だったのではと思う。贈り物というものは、相手が相当な忌避感を覚えている場合を除き、その人と繋がりを作るうえでは手っ取り早い手段であろう。そう考えると、未開地域の民族の交換の運動により社会の紐帯を組成しているということは理解がしやすいのではと思う。長々と話してしまったが、人類学的には社会を作ろうとする人間の積極的行動として贈与があり、人々には、ハウのような霊感はないにせよ、贈与された側にとっては何かお返しをしなければならないような負い目が感じられるということが知見として存在している。
 

バレーボール特有のルールの人類学的解釈

 本題に戻るのであるが、バレーボールは先述の通り、「ボールを協働して自陣から敵陣に贈る」ことを基調にし、「ボールをうっかり受け取ってしまったチームは失点する(ボールをうまく贈ることができたチームは点を取れる)」というスポーツである。

 さらに、バレーボールにおける特徴的な反則にはボールを1秒以上(長さは諸説ある)持ってしまう「ホールディング」、1人の人間が連続して2回ボールを触る「ダブルコンタクト」、自陣で4回以上ボールを回してしまう「フォアヒット」というものである。そして、これらの反則は選手に「もらったボールを持ち続けるな」という強いメッセージを与えている。これは、先述のハウを引くまでもなく、贈与されたものを自分で持ち続けること、さらにはチーム内でも持ち続ける(滞留させる)ことを強く忌避するものである。他の反則は「ネットタッチ」や「パッシングオーバーライン」などの主に境界侵犯を忌避するルールである。
 

バレーボールにおける最強のチームとは何か

 説明に時間がかかったが、結論としてバレーボールのルールを人類学的に解釈すると、「(贈られた)ボールを持ち続けず」に「与えられた回数の中」で「相手との境界を越えず」に「ボールをお返し」するスポーツである。そして、ボールをお返しできなかった時、そのラリーでは負けとなり、相手にしっかりとボールをお返しできたときは、そのラリーは勝ちとなる。結果としてボールをたくさんお返しできたチームが最も強いチームである。翻せば、最も強いチームとは、最も多くのボールをお返しできたチームなのである。なんとも気前の良いスポーツである。そして、もう一つバレーボールにおいて大事なルールがある。それは、バレーボールはサーブ、つまりボールを相手に献上(贈与)することでしかゲームをスタートさせることができないということである。やはり、誰かとゲームがしたければ(関係性を構築したければ)、まずは自分が相手にgiveしなければならないのである。なんとも深いスポーツであろうか。
 


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