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タイムマシン

 よく、恋に対する男と女の向き合い方は違うと言われる。男は恋をひとつずつ別のファイルで保存する一方、女は恋というひとつのファイルを上書き保存して更新していくと。
 「私は男なんかな。ひとつずつ、どの恋も全部覚えてるし、上書きなんかできないし。」
 「え?何言ってんの。多分みんなそうよ。」

 3月の中だるみ連休と言われた休日の中日、私も中だるんでいた人間のひとりだ。大学時代からの友人と、学生時代に彼女が住んでいた街・吉祥寺で、満開の桜を眺めながらCORONAという名前の赤ワインを飲みつつ、伊勢屋の焼き鳥をつまんだ時の会話だったと思う、確か。(うろ覚えならなぜこの会話からnoteを書き始めたのか思い出せないのが下書きの悪いところであり、とにかくこれが書きたかったんだな自分、という過去の意識の片鱗を忘れずに記しておけるのがまたnoteの良いところでもある)で、そのあと私が好きな古本屋、百年と一日にも赴いて、郡ようこさんのエッセイ「咳をしても一人と一匹」という猫と二人(?)の暮らしを書き綴った一冊を購入した。

 私は、目に見えないウイルスのことはすでに1月下旬から誰よりも早く恐れていて、マスクにメガネ、ビニール手袋をつけて通勤していたけれど、この日は、とにかく友人の話を聞いて寄り添いたいと思う事態が発生していた。

 ハワイで専門職に就いていた彼女が、日本に急遽帰ってきた。コロナ禍によるアメリカの大不況で、ちょうどビザ更新のタイミングだったのが面接の前夜に大使館からビザ更新の作業は現段階でストップしたという連絡があったらしい。ウイルスは怖いけれど、それによって、人の人生が左右されている。呑気にサラリーマンをやって、リモートワークだなんだ、そもそも今までの働き方がー!と騒いでいる自分のことなんか、どうでも良いくらい衝撃だった。

 たくさん喧嘩もしたし、歳を重ねれば重ねるほど、折り合えない部分ははっきりとお互いにわかってきたけれど、自分らしく生きることや、そのための社会の弊害は共有できて、だからこそ長く続いている友人なのだと思う。

 彼女と話していて、言語化されない私たちのモヤモヤは、とにかく日本の社会における、目に見えない壁がキツいなあということに尽きる気がする。結婚していないとなんか欠点があるんじゃないか、離婚したなんて変わってる。わざわざ海外へ転職するなんて・・・。私たちに向けられる?社会の好奇の目。でも、その好奇の目たちって、実は自分たちの中にも棲んでいる。その目は、経済を回し統治するための社会の檻みたいなもんで、その中に人々を閉じ込めて不自由にすればするほど、人間たちを画一化し、思考の自由を停止させ、ロボット化させるプログラムみたいなものだ。昨今海外で起こっているBLM(Black Lives Matter)問題は、人種差別の問題だけど、それだって大きくは社会システムの歪みに対する人権侵害を糾弾する運動だ。これまでなんども「おかしい!」と主張されてきてもなお、根強く残っている基礎プログラム。経済や社会構造が成立し、その枠組みの中で成功している人たちがたくさんいるからこそ、書き換えには労力がかかる。人は一人ひとり違うのだから、お互いがその違いを認め合って、傾聴し合い、尊重し合える社会に変わっていけばいいのになと強く思う。


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