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自分を支えてくれるもの

最近とくに思うんですよね、自分を支えてくれたり励ましてくれたりするのは他の誰でもなくて過去の自分だなあって。

みなさんは、自分がだめだなあって思ったとき、どうやって生きる気力を得ていますか。

まあ結論から書いちゃいますけど、わたしの場合は、過去の自分の成果物なんです。
自分の書いた文章、自分の作った曲、自分が撮った写真、自分の演奏・・・はあんまりないけど、自分が指揮をした演奏、自分が参加した合奏とかライブ。こういうものたちです。

過去の自分は今の自分より劣っている部分もあるかもしれないし、反省もたくさんあるけど、今持っていない感性とか感情があって、それを急速冷凍保存したようなのが上記の成果物だと思っています。新たに何かを得た代わりに何かを失ったりもしていて、その失ったものを過去の成果物の中から見つけることも多いです。…もはや失ってばかりかもしれないけれど。

わたしは「自分がやる意味があること」に対するこだわりが多分とても強くて、何かを作るときは、その「意味」を色んなものに付与しようとしています。だから、過去の成果物を見ると、そのときの自分の存在意義を思い出すことができて、今のわたしを支えてくれるんだと思います。

みんなはニンゲンそのものに価値があっていいなあと思います。人柄というか、存在するだけで喜ばれるタイプの価値があるじゃないですか。わたしにはそういうのが無いので、何かを生み出さないといけません。生み出したものはただのゴミかもしれないけど、生み出したぞ〜っていうアチーブメントが自分のために必要なのかなあって思っています。

つまり成果物を作らないことにはわたしは永遠に支えられないんですよね。過去のおもひでを噛み噛みしてその場しのぎのエモと自己肯定感を得ることはできるけど、それはそれ。

前も書いたけど、わたしは多分自分の内から湧き出る何かみたいなのがすごく薄くて、何かを伝えてやろうとかいう気持ちもそんなにありません。それがちょっと悲しかったりもします。小学生くらいのときから、それには気づいていて、わたしは何も新しいものを生み出せないなあっていう自覚がありました。だからこそ、何か自分にしかできないことがないか/人より得意なことがないかと探りながら色んなものに手を出してきました。

器用貧乏というほど器用でもないですが、ちょっとだけかじったものがたくさんあります。

中学2年生のとき、担任の先生が年度末に「クラス全員に賞状をあげる!」という企画をやっていました。「声が大きかったで賞」とか「給食をたくさん食べたで賞」とか、何かしらこじつけてみんなに賞をあげるやつで、素敵な企画だなあと思って自分の番をたのしみにしていたのですが、満を辞してもらった賞状が「賞状もらいすぎで賞」でした。なんなんだよそれって感じですよね。作文とか絵とか習字とか工作とか部活とか、簡単な賞状をもらう程度にはそこそこにできる。でもまあ、全部中くらいというか、まあ器用にやったよね〜程度の出来で、これがわたしにしかないものだ!というやつにはなれませんでした。

まあいいんですけどね。自虐風自慢に聞こえますか?たしかに贅沢な悩みだと思われても仕方ない・・・とも思います。でもわたしはわたし単体ではダメだから、自分が生み出すものに関しては高望みをしないといけないんです。
「自分にはこれしかないから」と言って何かに打ち込んでいる人が羨ましいです。わたしには本当に何もないですよ。だから明確に指標になるようなテストの点数とか賞状の枚数で稼ぐしかなかった。数字は誰が見てもわかる"すごさ"になりますからね。

だからわたしは何かの成果物を生み出し続けなければいけない、ずっとそう思ってきました。別に作品として残すものじゃなくても、何か爪痕を残さなければ!と思ってプラスアルファの価値をつけようとしてきました。抜きん出る努力をしなきゃいけないような圧を自分で自分にかけていました。


ここまでは以前も似たようなことをnoteに書いたので、あーハイハイという感じだと思います。

ただ、最近は少しモチベーションの根源が変わってきました。

自分のための何かを作ろうと思うようになったのです。

もちろん、誰かの目に止まって褒めてもらえたらいいなと思わないでもないですよ。でも、わたしというニンゲンそのものには価値がなくても、わたしが生み出した何かを見て、自分でいいなあと思って支えにするのも悪くない気がしてきたんです。冒頭の「自分を支えてくれたり励ましてくれたりするのは他の誰でもなくて過去の自分だなあ」の真意はここにあります。

褒められるために作ったものは、やっぱり数字を見て気休めにする程度のものにしかならないです。内容そのもので救われようと思ったら、そういう作為を捨てて作らなきゃいけない気がします。そのときの自分の感情とか感性で何かを作る、後で見返したときに当時の自分がたしかに生きていて何かを作ったんだなという実感を得るために、です。

ぐるぐる似たようなことを書いてしまいましたが、そういうことです。(まとめるのをあきらめた)

それで結局この文章が何の宣言かというと、小説を書こうと思っています。既に、少しずつ書きためています。完成するかはわかりません。完成させたいとは思っていますが。
こないだのGWに大学の学部の同期と飲んでいて、そんな話になりました。小説を書こうという話。どういうことやねんという感じですが、そのとき妙に盛り上がってしまい、その場にいる3人で妙に熱を持って構想を膨らませました。大井町の安安で粗悪な焼肉をつつきながら、よーし、小説を書くぞと思い立ちました。

その作品がどういう出来であれ、きっと未来の自分の支えになるだろうなと思いました。常に死にたい死にたい言っている人間が未来の支えを作るとは何ぞやという感じなのですが、まあそうなんですよ。

と、いう話です。(本当にまとめるのをあきらめた)
みなさんも自分のために何か作って、あわよくばわたしにもそれを見せてください。お待ちしています。


おわり

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