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ドドドドドうつの2週間

先々週日曜の夕方からドうつでして、今も元気に継続中。焼豚女です。どうも。ヘッダーはAIにイラスト化してもらったわたしです。せめてヘッダーだけでも明るくいきたいわね。

数年前にバズったこの記事を読み返しまして、当時とはまた違った気持ちがぽとりと落ちてきて、今の状況を書いておこうかな〜と思った次第です。

3/19 日曜日、いつもの金継ぎ教室。いつものメンバー、いつものお喋りにいつもの作業。それなのに、あるわけもない疎外感の幻覚に頭がくらくらし、何故だかしょんぼりして帰路につきました。2.5時間程度の作業でしたが、丸一日教室にこもっているときより疲れてしまい、荻窪駅のベンチで突っ伏しました。
わたしの最寄り山手線駅は品川なので、荻窪からだと中央線快速→新宿→山手線内回り→品川という乗り換え手順を踏むのですが、どうしても新宿乗り換え&混んだ山手線に乗る元気が足りず、中央線快速で東京まで行き、空いている外回りで品川まで帰るという、面倒だけど確実に座れてストレスの少ない道を選ぶ程度には、とんでもなく疲れていました。
普通の疲労じゃないな?と思い、頓服を多めに飲んだりしましたが、効いてるんだか効いてないんだか、とりあえず品川駅で好きなおいなり屋さんの詰め合わせを買って帰りました。

わたしはわさびいなりと生姜いなりがすきです、が、スタンダードなお稲荷さんも丁寧な味がして美味しいのです。

思い返してみると、ちょうどその前日が頭の病院の日でした。とても元気に活動した週だったので「何か良い感じです」と馬鹿みたいに体調の報告をしていました。その翌日に上記のテイタラクです。何が良い感じやねん、と自分でツッコミました。

とにかくその日曜日からガラッと全てが変わってしまったように、世界のすべてが敵に見え、何もしたくない、布団の中にいるのに帰りたい、寝ることにも飽きてくる、やりたいことなどない、食べたいものもない、仕方なく空腹を埋めるために脳死で食べられるネオレーズンバターロールを買い込んで暮らしました。

金継ぎ教室のように体力気力ともに消耗するようなことをした翌日は大抵疲労で寝込みます。それはいつものことで、寝込むことコミコミで予定を立てます。
今回はただの疲労だけではない、そう、メンタルのドうつが襲ってきていました。「消えてしまいたい」「生まれなかったことにしたい」という強い気持ちが浮かび続け、呼吸が苦しくなったり心臓がバクバクしたりします。あらゆる刺激に敏感になり、まぶしさやうるささ、着るものの手触りにいちいちイライラします。無音で何も感じない、無重力空間に浮き続けていたいと思いました。

メンタル的にドうつになると、上記の通り「刺激」をとにかく受け付けません。音楽を聴く、アニメや映画を観るなどもってのほか、せいぜい通販のカタログを眺めて過ごす程度です。
普通の人の「生活」に組み込まれているであろうことも殆どこなせません。シャワーも浴びられないので外出もできません。洗い物をしたくないので割り箸でご飯を食べます。ゴミ捨てを怠ると変な虫が湧きそうなので、真夜中にコッソリパジャマノーブラすっぴんで出しに行きます。

友だちが生活を手伝いに来てくれることもあります。これは本当にありがたいです。ジップロックでカレーを持ってきてくれたり(パックごはんにかけるだけでめちゃくちゃ美味しい、美味しいごはんはメンタルが回復する)、足の踏み場がない部屋の片付けにきてくれたり、皿洗いをしてくれたり、そのひとつひとつがわたしの限界生活を支えています。助けに来てくれる人は何故かみんなうつ病なので、距離感をわかってくれています。みんなが元気がなくなっちゃったときには、しっかり恩返しをしたいなと思っています。

そんなこんなで1週間生き延びたと思った矢先、3/25の早朝、経験したことがないほどの腹痛に見舞われました。冷や汗ダッラダラの中#7119に電話、近くの救急病院を教えるから自力で電話をかけてタクシーで向かってくれ、無理そうなら躊躇わずに救急車を呼べと言われました。教えてもらった救急病院の中には過去扁桃腺ブチ取りの際に入院した病院もあり、まずはそこに電話してみよう…などと考えていたのですが、意識が遠のくほどの激痛に根負けして人生初の119ダイヤル。

「火事ですか、救急ですか。」という問いかけに「うわ!ホンモノや…!」となりつつ、冷や汗ダッラダラ流しながらその時の症状を伝えました。我ながらなかなかに的確な受け応えだったと思います。
家の場所と目印になるものを伝えて「すぐ向かいます」とのことで、目についた中で一番デカいトートバッグに財布と普段持ち歩くポーチ、お薬手帳が入った常用薬ポーチ、おぱんつとタオル数枚、携帯の充電器など思いつく限りのものを突っ込みました。着替える余裕はなかったのでノーブラパジャマにその辺にあったコートを引っかけて待機。遠くからピーポーが聞こえてくるのをインターホンの前で突っ伏して聞いていました。
ご想像に違わず救急隊が入れるような部屋ではないので、オートロックを解除したら玄関から廊下に出て崩れるように待機。屈強なオニーサンたちに支えられて(痩せておけばよかったと後悔しました)階下のストレッチャーに乗せられ、救急車までゴロゴロと運ばれました。

救急車に乗せられてすぐ病院に運ばれるかと思いきや、そうではないんですね。血圧やら体温やら色々と測られ、腹痛ということでお腹のあちこち触診もされ、自力でギリギリ這い出て来れた(意識飛ぶほどヤバくはない)という緊急性の程度などなど、色んなことを加味して運ぶ先の病院が決められていくようでした。
#7119で伝えられた病院の名前を挙げてみましたが「触診した感じ婦人科系の疾患も疑われるので、その救急外来がある別の病院に運ぼうと思います」と言われ、へ〜ほ〜となりました。

目的の病院に患者を放り込んでいいか確認を取って、やっと発車です。道端で聞くピーポー音はあんなにデカいのに、中から聞く分はとても遠く感じて不思議でした。ドライバーのオニーサンは色んな信号を無視して(?)最短でわたしを病院に届けてくれました。運ばれているうちに腹痛は強くなったり弱くなったりを繰り返し、陣痛かと思いました(もちろんそんなこたぁない)。

病院に着いたら一通りみんなが受けるような検査を受け、CTを撮ったら見事に婦人科系の臓器に異常が見つかりました。救急隊オニーサンの英断スゲーです。その頃には腹痛がやや落ち着きつつあり、車椅子にも普通な感じで座れるようになっていたのですが、ちょうど当直でいらっしゃった婦人科のお医者さまから「何でそうやって平気そうに座ってられるのかわからない」と言われ、わたしもよくわからなかったしまたあの激痛が来たら死ぬと思ったので、1泊入院させてもらうことにしました。

婦人科と言っても病棟は産婦人科と共通です。何やらハッピーでベイビーなムードが漂う空間に謎の腹痛で七転八倒する独身女が運ばれてきたわけですが、みんな陣痛で七転八倒していたのであまり悪目立ちせずに済みました。さすが産婦人科、大部屋なのに部屋にトイレも付いていて、めちゃくちゃ綺麗で感激です。
ハライタがヤバすぎたのと入院が大好きなのとで、この1泊2日の間はメンタル的ドドドドドうつからは逃れることができました。

運び込まれたその日は緊急手術の可能性があるとかで絶食。とはいえ点滴で栄養を入れられ続けていたし、うつの延長で特に食欲もなかったので平気でした。
基本的には陣痛に苦しむ同室のお姉さんの呻き声を聴きながらうつらうつらし、たまにハライタがぶり返しては目を覚まして悶絶、を繰り返していました。ハライタがかなり強まった際看護師さんにそれを訴えると、問答無用で座薬を入れられ、お尻の処女喪失のあっけなさに凹みました。

そんなこんなで一晩を過ごし、緊急性はなさそうだねということで一旦退院、後日精密検査ということで話がまとまり、ノーブラのままタクシーに乗って帰宅しました。

ハライタによる激汗がヤバかったので帰宅後即シャワー。そして寝不足を取り戻すように激寝。変な時間に起きて虚無になり、そのへんにあったネオレーズンバターロールを食べて気を紛らわせました。

家に帰ってしまえば、それまでのドドドドドうつに逆戻りです。「あの腹痛のまま死んでおけば」「救急車なんて呼ぶほどのものでもなかったのではないか?」「腹痛も甘えだったのでは?」などなど、普通に考えたらおかしいやろ〜!な不毛思考が止まりません。「ちゃんとCTで異常が見つかって良かったなあ、せっかくだからガンだったりしないかなあ」と、そればかりを考えていました。

とにかく倦怠感と死にたさ、不安感が継続しており、メンクリに通い始めてからこんなことなかったよね!?というほどに落ちていました。

メンクリ診察時にスムーズに伝えられるように
体調をメモっている

まあこんな感じで、本当に何もできないまま1週間が過ぎていくわけです。働いているときの1週間ってあんなに長かったのに、メンタルで寝込んでいると一瞬で溶けてしまうのですね。

さらに今回のドドドドドうつでは離人感が出ており、何をしても自分のことじゃないというか、全て画面の向こう側のドラマのように感じられるゴミ症状が断続的に降り掛かります。
特に外出時に強く、せっかく綺麗な桜を眺めているのに、実感がめちゃくちゃに乏しいのです。こりゃもう最悪です。知識として目の前の満開の桜が美しいことはわかっているのに、現実味が薄く、遠い世界のことのように感じるのです。

思い返してみると、わたしが初めて離人感を覚えたのは小3のときでした。衝撃的な感覚だったので、当時の状況も詳細に覚えています。ストレスからの防御反応だとも言われていますが、当時どんなストレスがあったのかは覚えていません。ただ、いじめの主犯格に仕立て上げられてブチ切れまくっていたのが同時期かもしれない、くらいです。

ストレスからわたしを守るために現実感を失わせてくれるのは勝手にしてもらって結構なのですが、感動まで奪われると本当に困ってしまいます。刺激を受けたくないという気持ちが強すぎるのかもしれません。感動する過程にはどうしても刺激やストレスが必要ですから…

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こんなことを直近の診察で伝えたら、双極性障害を疑われ(もちろん否定はしましたが)、新たなオクスリが増えました。
新たなオクスリはめちゃくちゃアッパーにしてくれると同時に圧倒的に現実感を消失させ、元気を前借りしてくる代わりに気絶でツケを払わせてきます。いや〜〜〜面白いですね。
抗うつ薬や抗不安薬は出せる種類の数が決まっているので、お医者さまが頭を捻って処方してくれたクスリだったのですが、なかなか自分には乗りこなせる気がしません。
だからと言っちゃ何ですが、やはりこの倦怠感や死にたさ消えたさやる気のなさ離人感すべてが脳内物質のバグなんだと思えるんですよね。この実感が、わたしがうっかり死なない最大の理由になっている気がしています。

最初に載せた記事の中に出てくる「君」は、この神経伝達物質のバグに飲まれてしまったんだなと、今ならわかります。それがわかったからといってその人が生き返るわけでもないし、周囲の方々の悲しみが消えるわけではないけれど、そういう病気なんですよね。

的外れな自分の何かを責めて、本当にダメだと信じちゃって、友だちなんかいないって思い込んで、そんなこと1ミリもないってちゃんとわかってるのに、このマイナス思考を止められない。
お皿を洗いに来てくれる友だちがいるのに、ひとりぼっちだと思ってしまう。差し伸べられた手を払い退けてしまうのは、相手にも失礼だってわかってるのに、誰も自分のことなんか心配しないし自分が死んだって誰も悲しまないって思っちゃうんですよね。何だってんだよクソ〜いい加減にしろ〜!

てな感じで、未だに神経伝達物質のバグと闘っており、たまにTwitterにそういうことを書いちゃったりもします。見た人の気が滅入ってしまうだろうな〜なんて思いつつ、でも、だったらミュートしてくれ!くらいの図太さで何とか乗り切っていく所存です。
それでもいいぞ!という人はこれからのわたしも生暖かく見守っていただけるとうれしいです。


ついしん
先月末はたくさんのサポートをいただきありがとうございました。サポートの金額というより、たくさんの人がわたしのことを心配してくれている(もしくは面白がってくれている)ということが伝わって、心強いな〜と思いました。
死なないと決めているので当分は食費もかかるし、家賃もクソ高えのを払い続けなければいけないけれど、一旦は危機を脱したということをお伝えしておきます。本当にありがとうございました。

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