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自意識と客観視。

この前書いたハロプロの2番の歌詞についての記事が今までに類を見ない人に見てもらえてるのでビックリしています。

今回は自意識について書こうと思います。
自意識とは他者と区別された自己についての意識だそうで、自意識過剰なんて使われ方が主ですね。

自分はめちゃくちゃ自意識過剰な人間だという自覚がありますが、よく使われる意味での自意識過剰では無いと思います。基本、「自意識過剰」という言葉は過分なほどに自分に自信があり、皆が自分のことを好きである、皆が自分に関心を持っていると思い込む人のことを指していると思いますが、自分の場合は逆な方向に自意識過剰だと感じます。自分に自信がないゆえに、皆が自分のことを好きなはずがないと感じてしまうのです。
それによって、後ろで他人が笑っているのを聞くと自分が笑われていると感じてしまうし、友人・知人と解散した後には自分の陰口でも言っているのだろうと想像してしまいます。
少しでも笑われる要素を減らそうと思うと、服装は変になってないだろうか、であったり髪型は崩れたりしていないだろうかなどを考えてしまって、鏡に映った自分の様子を細かに気にしてしまうナルシシストと同じ挙動に出ることになるのです。

そんなに気にしている服装や髪型だって、自分のセンスに自信があるわけではないから無難に無難に収めようとしか考えていません。そんなんじゃいつまでたってもセンスは磨かれないというのに。

他人のことをそんなに気にしている人はいないというのはよく聞くことですし正直そうだとは思います。しかし、気にしないで恥をかくよりも気にしすぎて杞憂に終わる方がマシだと考えてしまうのです。
それに自分は人の細かい所が気になってしまうし、何より客観視した自分が一番見ているのです。

日本テレビでやっている「午前0時の森」という番組の火曜日の企画に「おかえり、こっち側の集い」というものがあります。人間をいわゆる「陽キャラと陰キャラ」に分けて陰の側の芸能人に話を聞くというものです。「芸能人は皆社交的で根明である」というイメージに反して人付き合いの苦手な人もいるという話に驚いてみたり「こっち側」のあるあるに痛いほど感心しながら楽しませてもらっています。

この番組でもたびたび「客観視」という言葉が出てきます。自分のことを外から見て「お前ごときがそれするの?」「それをするようなキャラじゃないじゃん」という奇異や疑いの目を自分自身に向けてしまうことで、スタバで注文ができない、であったりまだ仲良くなりきっていない人に話しかけることができないということが起きているのです。

反対に根明、陽キャとくくられる人たちはそんな客観視をしない/必要がないので教室で堂々とTik Tokの撮影ができるし、テーマパークでカチューシャを付けてはしゃぐことができるのだとも言われていました。

「こっち側」の人たちにもタイプが分かれていて、「あっち側」にあこがれているがなれないなと感じるという人もいれば、なりたいとも思わない人もいました。MBTIを少しかじった自分にはこれがPとJの違いなのかなとか思いました。
(追記)さらにかじってみましたが、全然違いそうですね。

自分は自意識過剰でもあるし「こっち側」に属している自覚がありますが、「あっち側」になりたいと思うこともありません。そりゃ初対面の人にも臆することなく話しかけて仲良くなれるのならそれに越したことはありませんが、周りのことも考えずにはしゃげるようになりたいとまでは思いません。

ですが時たま客観視の自分との接続が切れる瞬間もあるのです。それは友人と楽しい時間を過ごす時です。友人とディズニーランドに行ったとき自分はカチューシャを付けることができます。それは付けている方がディズニーランドでは自然であるし、その方が楽しい思ったからです。さすがにど真ん中のミッキーのはつけられなかったですが。

高校の時もあまり客観視をしないでいられたような覚えもあります。さすがに教室の真ん中で盛り上がるタイプにはなれなかったけれどそういう人たちとも割としゃべっていた記憶です。(あれぐらいで仲良いと思うなってレベルかもしれないけれども)
何よりも高校最後の文化祭でステージで嵐の「ワイルドアットハート」を踊ったのは客観視したままではとてもできないと思うので少なくともその瞬間は自分に向けた監視カメラのスイッチを切っていたのだと思います。

コミュニケーション能力に長けた「あっち側」も偉いと思うし、他人の視点に立って考えることのできる「こっち側」も偉いと思うので、陰キャ/陽キャという表現はそこに良し悪しを生むような気がしてあまり好きではないです。なのでMBTIで言うEとIという風になれば対等なニュアンスになるのでいいなという風に思います。

自分は内向的で客観視して動けなくなってしまうことが常ですが、たまに覚悟を決めて行動することができるということで完全な内向型でもないのかななんて思います。

自分の好きなアーティストのCreepy Nuts、DJ松永さんも「自分の性格は自意識過剰という言葉ですべて説明がつく」というようなことを言っていたし彼の言動に共感する部分も多いです。その松永さんが尊敬するオードリーの若林さん(「おかえり、こっち側の集い」のMCをされている)も客観視をしてしまうタイプで著書を読んでいると共感することもかなりあります。

一番の理想はどちらの面も半々で持ち合わせているか片方に振り切ってしまうことなのでしょうが、今はそうではないので性質を変える方法なり、今のままでも上手くできるやり方なりが見つかったらいいなと思います。

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