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名前の由来。

お題一覧にあったので、名前の由来について書いてみたいと思います。

自分は人の名前に限らず「由来」という類のものが大好きです。思うに理由が存在することに安心を覚える性格なのが関係しているかもしれないです。(ほら、こうやって理由を見出そうとしている)
「こうやってこれが生まれた」「こうだからこのように名付けられた」というようなものは何でも知りたいと思っています。

思い返せば、名前の由来というものが幼稚園の頃から好きだったのを覚えています。朧気ではありますが、クラスの子の誕生日か何かだとは思うんですけど名前の由来を親が発表するというイベントがあり、理由があって名前が付けられるということがあることを知りました。自分の名前の由来を知りたくて母親に尋ねましたがはぐらかされて答えてくれなかったのもなんとなく覚えています。(両親の共通の趣味であるプロレスラーから1文字づつ取ってきているという説も記憶の中にありますが、定かではないです)

今のは本名の話でしたが、このnoteのアカウント名の由来についてもお話ししたいと思います。
決めたときは何も思ってませんでしたが、改めてかみ砕いていくと自分の性格がまんま出ているなと感じました。

「駄文、拙文でもこれが自分。」

まず、駄文、拙文と己の文章を卑下することでハードルを下げようとする自信のなさは普段からあります。期待されて(周りからも自分でも)ダメだった時の落胆に耐えられないプライドの高さがこうさせていると分析します。

次にそれが自分であるという開き直りがあります。「駄目であることは理解しているがそれも含めて自分という人間であるからいいじゃないか」と開き直ることで自分を正当化し、努力から逃げています。
自己肯定感の低さと自己愛の高さという両方の性質を併せ持つ❤ 的なことですね。

加えて、だぶん・せつぶん・じぶん で韻を踏むというセンスを見せつけようとする浅ましさもにじみ出ています。センスがあると人から思われたいという自己顕示欲というか承認欲求なのかがあるのでこういうことを日常でもよくやります。

最後にモーニング娘。から「。」を拝借して完成です。
これのせい(?)ですべての記事に句点をつけるようになりました。

「名は体を表す」とは言いますが、今回に関しては「体を表す名が付いた」感じでしょうかね。

また人間の名前に話を戻したいと思いますが、23歳の現在から自分に子供ができたらどんな名前を付けようかなんてことを考えています。
まだお相手なんてかけらも見当たりませんし、結婚をしても子供を産み、育てるだけの経済的・精神的な余裕があるのかも全くわかりません。
ですが名前を考えるだけはタダかなとも思います。

響きを優先した名前というよりは、漢字の意味が考えられた名前の方がいいかななんて思います。できれば苗字も踏まえたものにできたりしたらセンスがあるように思われるんじゃないかとかいう邪な考えもあります。
ともかく、子供に名前の由来を聞かれたときに自信を持って答えられ、聞いた子供もいい名前をもらったと思えるような名前を付けてあげたいと考えています。果たして実現するのでしょうか? 乞うご期待!

思い付きで書き始めた「由来」のお話ですが意外と量が書けましたね。
あと近い話で言うと、「語源」とかも大好きです。

#名前の由来

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