非モテ陰キャが15年かけてモテ男になった①

noteに人生をまとめたくなった。26歳消化器内科医のぶさおです。
荒れた公立小中学校で不細工でチビでデブで運動できないオタクであった故、いじめにあった。そこから、「勉強をして立派になって復讐をしてやる」と決意し、15年かけて成功した俺の話を書いていきます。

【小学校時代】
まず、当時(2003年ごろ)のオタクというのは現在のようなキャラクターではなく、『被差別身分』に等しかったと思う。そして、ぶさおのあだ名は小学3年生のころには「オタク」であった。

小学校に進学してすぐのころ、周りの子がドッジボールや、遊戯王で盛り上がっている中、ぶさおはおジャ魔女どれみの終了に涙し、明日のナージャやふしぎ星のふたご姫などを熱心に見て涙していたのであった。休み時間は本を読み、友達と遊ばず家に直帰しておじゃる丸やおかあさんといっしょを見ていたため、運動が凄く苦手であった。

さらに母が熱心にご飯を作るため、すくすくと腹回りは育ち、身長は一番低い。7歳にして、チビデブキモオタ陰キャという予後不良軍となってしまったのである。健康診断でも、BMIが高すぎて生活習慣病についての指導を個別に受けた記憶がある。

追い打ちをかけるように、ぶさおは泣き虫でコミュ障であった。小学校2年生の朝、泣き虫だったぶさおは、母から「今日泣いていいんは、5回までよ!!!」ときつく言われた時があった。しかし、涙が止まらない。自分の並ぶ列がわからなかった、手を上げられなかった、給食を上手に運べなかったなど。なんと、平日5日連続でこれが守れなかったことが悔しく、土日もくやし泣きをしてしまった。先生も、ぶさおを注意するときにものすごく優しい言い方をしていたが、毎回なくぶさおに手を焼いていたと思う。

上記のスペックで、当然ながら小学校で友達ができるわけがなかった。ある日、母と兄から、「クラス全員に友達になってって言いに行け!」と言われ、泣きながら登校。「友達になって。」と全員にいうも、「ごめんね、ほかの人に頼んで。」とか、「クラスにいたらもう友達じゃん!」などで、もちろん友達も増えず。6年間ボッチとして小学校時代を過ごした。

当時の私の小学校は特に荒れており、小学5年生のころには、3クラス中2クラスが学級崩壊を起こしてしまった。教師にエアガンを打つ、近くの商店からの万引きがブームになる、乱闘で流血騒ぎが起きるなどで月に1回程度全校集会となっていた。

奇跡的にぶさおは学級崩壊しなかったクラスにいたため、小学校時代はひどい被害はなかったのだが、これがさらなる悲しみを巻き起こすのだった。

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