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【昭和的家族】初めての『スマホ』

現在、携帯電話を持っている方は、殆どが『スマホ』を使っているのではないかと思うのだけど、昔多くの人が『ガラ携(周囲地区から隔離されて独自の生態系を維持していたガラパゴス島に例え、とっても古いという意味の携帯)』と呼ばれた携帯を持っていて、代わりにすっかり『スマホ』携帯に変更するまでには、確か2、3年位の期間があったのではなかっただろうか。私は変更が遅かった派だ。できれば一生『ガラ携』を使い続けたいとさえ思い、当初『スマホ』には妙な敵対心を持っていた。ついては通勤電車の中で、向かい合わせの列も含め、付近に座る他の乗客の中で、『ガラ携』を使っている人を見かけると、”私もですよ!一緒にがんばりましょう!!”と声に出さず、目立たないように片手でひっそりとガッツポーズを作りながら、心の中でエールを送っていたりした。

そんな時期に、私達家族の中で一番早く『ガラ携』を『スマホ』に変えたのは父だった。インターネットで調べてみたところ、どうやら2010年代だったそうなので(もっと前のような感覚はある)当時父は81歳位だったと思う。『ガラ携』については、その数年前に母が月数回通っていたシルバーコーラスに行く際に、公衆電話代わりの連絡用電話としてシニア向けの『ガラ携』の中でもとても簡易式なものを父母一緒に使うために入手はしていた。

それは、秋か冬でもうすっかり日が短くなって、夕方17時を過ぎると真っ暗になるような時期だったと思う。東京の自分の部屋で夕ご飯の支度をしていた私に、実家の固定電話からで母から電話があった。
「あら、こんな時間に電話くれるなんてめずらしいね。何かあった?」と私は聞いた。
「それが、お父さんが買い物に行くって自転車で出ていって、もう随分経つのにまだ戻ってこないの」と母。
「えー。自転車?いつもだったら暗くなる前に帰ってくるのに随分遅いんだね。いつ位に出ていったの?」と私が聞くと、
「お昼過ぎだと思う。近所の買い物だと思っていたら、なかなか帰ってこないから心配になってしまって」と母。
「お父さん、携帯電話は持って行っている?」と聞くと
「携帯電話は、自分が電話をかける時に電源を入れるから、持っているかもだけど繋がらないと思う」と母、私は一旦母の電話を切って、念のため父の携帯電話に電話をしてみたけれど母の推測通り、電源が入っていない‥というメッセージが流れるばかりで一向に父は出ない。

私は、心配な気持ちが膨らんでいった。ちょうど数カ月前に、高齢の人たちを会議室のような所に集めて、集団心理を利用して羽根布団などの高額商品をだまして販売している詐欺をTV番組で観た。父が会議室に入れられていたりして、、、と想像した。そしてそれ以上に、あってはならないと思うけど、万が一大きな事故やケガをしていたら、その他の犯罪に巻き込まれていたら等々不安な思いがぐるぐると頭の中を回転した。

私は改めて、母に電話を架けた。
「お父さんの携帯電話に電話したけど、お母さんが言っていたみたいに電源は入っていないから繋がらないや。心配だからこれから弟にも電話を入れてもしも近所を見てもらえるなら見てもらうから、少しそのままで待っていて」と母に伝えて、母との電話をまた切って、実家の近所に住む弟夫婦の家に電話を入れた。

すると弟に状況を説明している途中で、母から着信があった。
一旦、弟との会話を終わらせ、私は再度母に電話を入れた。
「どうした?何かあった?」と聞くと、
「お父さん、帰って来たの!!!」と嬉しそうな母の声。
「えー!!!良かった。心配したよ。何があったの??」
「それがね、新しい携帯電話を買ったんですって、使い方が難しくて店員さんに色々と説明を聞いていたら4、5時間位かかったそうなのよ」
とのこと。
私は安堵感と同時にあの父に5時間も捕まってしまった携帯電話の店員さんが目に浮かび、その店員さんへの極めて恐縮な気持ちが溢れた。その後、どんな会話を父や母や弟としたかまでは明確には覚えていないのだけど、兎に角、当時の我が家では、躊躇して変更していなかった私や弟に先立ち、父が一番最初に『スマホ』を使い出した人となった。

昨日、もう使わないであろう父母の『スマホ』を携帯電話会社に解約しに行って、私はそう言えば、そんな事があったなぁと上記のお話を急に思い出した。そしてデータを消すための『スマホ』の初期化作業を、店員さんに誘導いただき一緒に作業をして、電源が切れる時、思わず「ありがとうございました。長い間お世話になりました」と私は『スマホ』に向かってお礼の言葉を伝えていた。



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