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【昭和的家族】エビフライでジャンプ

ある時期、私の母は以前より目が見えにくくなったと一人で近所の眼科に通っていた。母が80歳になる少し前の頃と思う。その近所の眼科は比較的規模が大きく、院内で白内障の手術も行っていた。数回通っていよいよ次回は精密検査の結果が出るというところで、母はもしも手術となったらどうしようと急に怖気づいてしまった様子だった。

「この前、先生から多分白内障だろうって言われているのよ。検査結果を見て今後の治療方針を決めましょうとの事だったわ。どうしよう」と母。
「どうしようって、目を治療したいから通い始めたんじゃないの?」と私。
「そうなんだけど手術は嫌なの。先生に強く勧められたら断われるかしら」と母の心配は続く。どうやら手術は断る前提らしい。
「白内障の手術って、前にお父さんが受けて目が凄く見えるようになって良かったって言ってたやつでしょう。嫌なの?」
「手術なんて嫌よ。他に何か良くなる方法があればと思って行ったのよ」と母。
あまりに心配しているので、私は母が通院する日にたまたま仕事を休む予定だったというのもあり、付き添いでその眼科に母と一緒に行く約束をした。

その眼科は実家から一番近いJRの駅近にあった。改札で言うと実家からは反対口だ。それでもそんな距離では無い。母は実家から、私は東京の自宅から行くので、ひとつしか無いそのJRの駅の改札を出たあたりで待ち合わせした。その上で貴重なお休みなのに母と眼科に行くだけで終わってしまうのはもったいない気がした。私は最近ある洋食屋さんの支店が実家に近い側の駅近にオープンしたというチラシを見たのを思い出し、母と一緒に眼科の通院後にその洋食屋さんでランチをする約束もした。せっかくなので当日家にいるはずの父も母から誘ってもらい、母の通院が終わったタイミングで私が父に電話をして洋食屋さんに直接来てもらう段取りとした。

あれは梅雨時の雨の日だった。私は待合室で母と一緒に母の名前が呼ばれるのを待った。「もしも先生が強く勧めて、私が断れなくて困ったら、あなたを呼び出すから診察室の近くにいてね」と母に頼まれ、母と私は診察室の一番近くの場所に座った。母は自分の名前が呼ばれると緊張した面持ちで診察室に入りその後、想像以上に短い時間で私の所に戻ってきた。私は聞いた、
「どうだったの?何か先生に言われた?」
「うん。手術を受けますか?と言われて、いいえと答えたら、それ以上何も言われなかった」と母、
”それで本当に良かったのかな”と私は自問したけれど、母はすっかりリラックスして「お腹空いたねー」と全てが終わった事となっていた。

眼科の支払いを終え、母と一緒に外に出る前に、私は約束通り父に自分の携帯電話から電話をして、駅近くの洋食屋さんで待ち合わせした。母と私は傘を出したりさしたりするのに少し時間が掛かったようで、待ち合わせをした洋食屋さんの前に私達が到着する頃、小雨だからと自転車で到着した父とタイミング良く合流できた。

3人で一緒に洋食屋さんの扉を開けると、温かい洋食のソースが混ざった良い香りが漂っていた。まだ午前中の11時を少し過ぎた位で、私達の他に誰もお客さんはいなかった。私達は4人がけのテーブル席に座り、メニューを見て、オムライスにデミグラソースがたっぷりかかったハンバーグと付け合わせ料理が添えられた”ザ・洋食”的なメニューを頼んだ。確か一皿がとても大きそうだったので、3人で分けることにして大皿メニューを2種類1皿ずつ頼んだように思う。注文が入り、母と私は横の席に並んで座り、対面に一人で座る父に眼科での母の様子を説明しながら料理が運ばれるのを待っていた。すると母と私の目の前に一人で座っていた父の大きな身体(父の世代の中では大柄だった)が、一瞬隣のテーブル席に向かって大きくジャンプした(ように私には見えた)。

いいや、私だけではなかった。丁度カウンター席の対面の厨房で料理をしていたコックさん2名も父のジャンプを目撃して動きが止まっていた。父は隣のテーブル席の上に置いてあった、”今月のお勧め”と書かれているエビフライのフライヤーを見つけて、隣席にあたかもジャンプするように瞬時に大移動したのだった。

「え!?」と私は思った。父は確かにエビが大好きである。そして父の手に握られた透明なプラスチックの厚い下敷きのようなものに入ったエビフライの写真はとても大きく美味しそうな姿ではあった。
「これ、追加で注文するか」と何事も無いように父は私達の目の前の席に戻ると写真を見せて静かにはっきりと言った。母と私はうなずくしかなく、それから直ぐに3人分の大きなエビフライのセットが追加注文された。

その時、追加注文したエビフライがそこまで美味しいものだったかの記憶は明確には無いのだけれど、私が覚えているのはとにかくそのお店では3人では食べきれないくらいの量のお料理が出てきて、お土産用のパックを幾つか作ってもらい、私達がそのお店を出た事だ。そしてそれ以降何度かその洋食屋さんの前を通る度に、私はまたお店に入りたいなと思ったこともあったけど、”「あのエビフライでジャンプしていた人の家族だ」と思われたら、ちょっと恥ずかしいかも”と思い、結局それから行く機会が無かった事だ。ちなみに母はどうだったか分からないが、父は全く気にせずにその後も暫くその洋食屋さんにテイクアウトのお弁当を頼む為に通っていたようだ。

それからそんなに何年も経たない内に、その洋食屋さんはお店を閉じてしまった。その間に私の母は結局もう眼科に通わない事を決めた。私の記憶にはただただ、母の付き添いで眼科に行った梅雨の日に、エビフライの写真目がけてジャンプしていた父の姿だけが鮮明に残っている。


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