【母の代筆】お盆の提燈
母は戸籍上は昭和7年のお正月生まれで、という事は生まれた時はまだ太平洋戦争が始まる前で終戦時には13歳だったと思います。
そんな母がその戦争前の時代の、生まれ故郷のお盆の様子を書いた古いノートを見つけ、そして本人も「是非残しておいて欲しい!」と言っていたので、メモしています。
ちなみに母の実家は、神社のすぐ横にあった『カドヤ』と呼ばれた小さな雑貨・駄菓子屋でした。小さい頃はご近所で『駄菓子屋のアッコちゃん』と呼ばれ、神社の境内の公園を自分の家の庭と思っていたという位、毎日その神社を駆け回って遊んで、のびのびと元気に育ったそうです。
そんなやんちゃで暴れん坊な母は、その後の病弱な少女時代を経て、さらにその後だいぶ経った中高年時代には、家事やその他もろもろの事に疲れ、ひたすら大人しくてどちらかというと思った事があっても言い出さず、うつうつした気持ちをひたすらノートに書くことで発散させるという時期が長くあったようです。その頃の母の写真には『への字口』でうつろな目をしているものが多くあります。しかしながら70歳を超え、父との暮らしで生活の悩みが減り(仕事が減ってきた父が家事を沢山手伝ってくれたりした)写真の中の目の煌めきがどんどん増えていきました。さらには90歳前後では、我儘な子供自体の性格が表面化し、父がいなくなった寂しさを抑えず騒ぎまくるような時期もありました。その上で、そんな母の表情はだんだん豊かになり、悲しい時も笑った時も苦しい時も喜怒哀楽がとても分かりやすい人となっていきました。
このところ、母の昔の日記や写真を見る事が多い中で私が気がついたのは、私にとっての母の愛すべき(食いしん坊で甘えん坊で寂しがりや、真面目で裏表なく人に接し礼儀正しくしたい!という気持ちの強い)かつ味のある性格の基の基は、どうやら神社の境内であばれていた、お盆の提灯の思い出があった子供時代に形成された様子です。同じ時代の事を書いた別のメモも見つけましたので、続いて記載しておきたいと思っています。
[原文は縦書きです]
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