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【昭和的家族】焼肉は豚肉

食べ盛りの兄弟の中で育つとはどういう事なのか、私は思う存分経験してきた方と思う。私達兄弟が一番食べ盛りだった頃、我が家には従妹最大3人とも一緒にご飯を食べる時もあり、私達も必死だったけど、その頃料理を担当していた母も相当必死だったかと思う。

昔飲み会でネタとして盛り上がっていた誰かのお話で、”子供の頃に兄弟が多かったので今でも大皿で料理が運ばれて来ると、即座にその席に座る人数でその料理の一人当たりの割り当て量を計算してしまう”というのを聞いたけど、私も正にその症状が今でもある。小さい頃から我が家でも、大皿で料理が出されると私は速やかに自分の割り当て分を計算し、すかさず自分のご飯茶碗にその割り当て分を乗せる事が習慣付けられていた。

ある時、家で肉団子が大皿で出された。私はいつも通り自分の割り当て分を計算した。しかしながら他の料理に気を取られ、いつもより動きが遅くなってしまい、ふと大皿を見ると本来は自分の分であるはずの肉団子がひとつも無い。やるせない気持ちで私は大泣きした。すると、母がこう叱った。
「もう無くなったものをいつまでも泣いているんじゃない!!」
私は多分本当は私の肉団子を取ってしまった兄弟を母から責めて欲しかったと思う。そんな私の気持ちは無情にも全否定された。そして私はその時”今度から決して間を開けずに自分の取り分を速やかに自分のご飯茶碗に移動させよう!!”と泣きながら心に誓った。

そんな我が家は昔から焼肉の時は豚肉だった。
「なぜ家の焼肉は牛肉でなかったの?」と後に母に聞いた時がある。
母は、「牛肉より安いというのも勿論あったし、お父さんがあまり牛肉の味が好きでなかったみたい」と話していた。
確かに味はともかく、牛肉よりは豚肉の方が安いためそれなりに量は提供されていたのかと思うのだけど、この豚肉の焼肉でさえ我が家では肉が焼ける寸前にいつも激しい争奪戦があった。普段出される他の総菜以上に飛ぶように肉が無くなってしまって私の目の前には焦げた野菜しか残らない。私はいつしか戦略として自分の前に焼けそうな肉を持ってきて焼き上がるまで自分のお箸で抑えるという事をしていたが、それすらふとした気のゆるみで一瞬で誰かに取られてしまっていた。

この頃は「今夜は焼肉よ」と母に言われると食事が始まる前から緊張した。本当に大変と思っていたけれど、今ではそんな光景さえある意味とてつもなく懐かしく思える。



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