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ワインをイメージする(1) Cabernet Franc

フィクションです
ワインを作るぶどうの種類について、いったいどんなステキなぶどうなのかをストーリー仕立てで紹介します

少し疲れていた
今夜の始まりも情熱のないものだった。

前に一度きたことのある、コース仕立てで古典的なフランスのお料理を出してくれるレストランに誘われた。

つきっきりで仕上げてきたであろう丁寧なスープに始まり、秋だというのに立派なアスパラガスの前菜。なんでも南半球で収穫されたものらしい。濃縮されたうまみはないけれど大ぶりでザクザクと食感が良い。日本の秋のキノコと卵黄のソースで楽しむ国際的な前菜だった。

彼は料理にいたく感心し二杯ほどワインを飲んだからか、「夢の話なら何時間だって語れる」そう胸を張って語りだした。もう随分と長い時間が経つ。魚の主菜を頂き、肉料理のメインがきた。

テーブルのキャンドルはゆらゆらともう2時間ほども揺れている。私は学校の行事のキャンプファイヤーを思い出した。いろんな人と手を触れ合わなきゃいけない。キャンプ場にシャワーなんてないのに。嫌な思い出。この人はどさくさに紛れて手を離さないタイプだろうかそんなことを考えながら時間が経っていった。

お皿の上のフィレ肉のグリルはすっかり硬くなってしまった。語り口に調子が出てきて、お肉を切り分ける時間さえ作れない。自己愛が過ぎて、私と料理は背景のようになってきている。もし目の前の人物がカート・コバーンの肖像画に変わったとしても、きっと彼は気づかない。気づかず、そのまま夢の話を3周ほど繰り返すのだろう。

二件目に誘われたが、当然断った。もし二件目にもついてくると思ったのなら今すぐ宝くじでも買ったほうがいい。その方がよっぽど確率は高い。気を取り直して私はお気に入りのワイン・バーへと向かった。

階段を下りドアを開けると、中には男性が1人奥の方でワインを飲んでいた。バーのマスターに何か赤を、と頼む。基本的にこのお店はその日その日私に合うものを選んでくれる。もう2年ほどちょくちょく通っているので、好みを把握してくれている。信頼がある。

今日の音楽はファンクか何かだろうか。よくわからないけれどとてもいい曲の流れで、厚すぎない音がよりエモーショナルに仕立てている。

マスターに聞いてみる、ホットチョコレートというバンドのようだ。奥の席にかけている男性客の好みらしい。ステキだ。

ワインに合わせて、牛のタリアータを頼んだ。なんせ先ほどの夕食は消化不良に終わったのだ。レアに仕上がった牛肉の生々しさと粗めの黒胡椒の香り、焼き固められた表面のスモーキーさ、すばらしい。

なんとなく見たことがあるな。薄暗い店内でよくわからないけれど見たことのある男性だ、そう思った。品良く着こなされたレザー・ジャケット、知性を感じさせるメガネ。そうだ、スガシカオだ!あの人はスガシカオだ!

物腰控えめで1人ゆっくりとワインを楽しんでいる。控えめではあるけれどオーラが見え隠れしている。しっかりと重ねてきた経験でしか纏えないタイプのオーラ、シックでタイトなパンツ、綺麗な皮の靴、かっこいい。レザー・ジャケットの下には深い紫色のシルクのシャツ、かっこいい。マスターには悪いが、スガシカオがこのバーの格式をさらに引き上げている。

お店が賑わってきた。みんなお酒が入っている時間帯だ。だれも周りなど気にしていない。そこにスガシカオがいることにも気づかない。私がいることなんて目にも入っちゃいない。でも、それでいい。

グラスを傾ける
カウンターのキャンドルにも火が焚べられる
ゆらゆらと揺れる
風もないのに、火も脳も揺れる
火の揺れる様を見て、私は水面の下から世界を見ているような気分になった
ホット・チョコレートのベースとドラムの音でミナモが揺れる
【秘密】というスガシカオの曲を思い出した。
私はスガシカオと同じ空間にいて、秘密の歌詞の中の人になりたがっている
賑やかで華やかな周りから、気づかれずに、そっと濃密な仲。私たちしか知らない、秘密の話
主張しちゃいけない、私達を見て、なんて、口に出しちゃいけない
でも、この日のバーの写真をいつか誰かがみて、気づいてくれるかもしれない。私とスガシカオの秘密
夜のビルの街があって、光は空にも映っていて、みんながそれを眺めていて、その光が強ければ強いほど、私達の秘密も増えていく
水面の下、光を見ていたはずの私は水面の下にいる
誰か一人でもいいんだ、だれかその光で私を照らして欲しいんだ

ひどい始まり方をした夜だった。そしてひどく甘美で空虚な妄想で夜は深くなっていく。
閉店の時間だ。店内が明るくなってそれを告げる。光に照らされた、私達の秘密。
すでに誰もいなくなったバー、私しか残っていない。秘密は秘密のまま、照らされずに今日も保たれた。




カベルネ・フラン、まるでスガシカオのいる空間のように、きっと特別な香り

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