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「本心と仮面」の脱構築へ向かって

 演劇舞台としては非常にメジャーな嗜好ではあるが、私も『オペラ座の怪人』を愛してやまないうちの一人である。人物像、音楽、間の取り方等々、全てが素晴らしい調和の元に紡がれている。
 怪人とクリスティーヌが口づけを交わす場面を見る度、私は落涙の衝動から逃れることはできない。彼女が彼の「顔」も「仮面」も含めて、彼自身を人間存在として静かに受け入れた姿には、同情を超越した、人間の普遍性に還元され得る愛がある。


 「本心と仮面」という二項対立がある。他人も自分も傷つくことなく「付かず離れず」の距離を保ち、いつでも傍観者に立ち戻れるように、わざと「仮面」をつけたがる場合もあるだろう。 
 しかし、そもそも人間の意識は刻々と変わる上に、多層的で無限性のオーロラをも帯びたものだ。「他者と相対するときに居心地が良い」自身の態度を「仮面」/キャラクター」として固定化し、捉え続けることは、果たして本当に可能なのであろうか。諸行無常の観点から言えば「自我」「本当の自分」も非常に危うい。
 仮に「仮面」なるものが存在していたとしても、逃げることなく、人間の無意識を形成しているものとして、丸ごと愛し引き受ける覚悟を持ち、人間の未来を志向することが人文学の役割でもあろう。


 人間を探究する学問が目指すべき極地・深淵に、いとも華麗に『オペラ座の怪人』は到達したとさえ思える。演劇界のみならず、人文学としての評価がもっとなされるべき時がきているように思うが、読者の皆様はどのようにお考えだろうか。


 色々と偉そうなことを書いてきてしまったが、何も小難しく考える必要はない。要はこれだけである。
 「どんな姿でも、あなたはあなた。それを肯定すれば、それで十分すぎるほど生を全うしている。自身の(無)意識の多層性を否定しながら生きることほど、辛いことはないのだから」

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