〈第56歩〉なんで勉強するの?
こんばんは。精神科医と写真家の二足歩行、今日で56歩目の『BURARI|ぶらり』です。いかがお過ごしでしょうか。突然の雨に降られたのは香川県では久しぶりです。
今日のぽつり
Uber Japan株式会社(以下、Uber Japan)は、13歳から17歳の子どもが保護者の管理のもと、スマートフォンアプリUberで簡単にタクシーを配車できる「Uber Teens(ウーバーティーンズ)」のサービスを2024年12月11日(水)より提供開始したとのこと。
ということで、共働き世帯が抱えるお子さまの「送迎問題」の解決に貢献するということのようです。
お子さんは通学ではぜひ歩いてくださいな。もちろん通学以外に習い事に使いますってのもあるでしょうけど、いや、やっぱり歩きましょうよ!
歩くのが好きな男の子を女の子は好きになるみたいですよ?(※保証はできません。)
なんで勉強するの?
一度は思ったこと、あるいは質問されたことがあるのではないでしょうか。
(※設定としてはあなたが日本で育ち、あるいは質問する方も日本で育ってということにしておきます。ややこしいので。)
あなたはどんな答えをお持ちでしょうか。
というのも、美容師さんがカットしている中学生15歳からそのような質問を受けたとのことで、
『将来の選択肢が広がるからじゃない。』と回答したそうで、「それしか言えなかった。ぶらりくんならどう答える?」と言われました。
僕は対話dialogueが好きなので答えを求めすぎない、回答は変わりあるものだという気持ちを持って、ひとつ答えさせてもらいました。
「生きやすくなるからじゃないですかね。」
意味を考え始めるとそもそも何に対しての意味を見出すかから考えないと話が散らかると思いましたので、簡単な話にしてみました。
人はマジョリティの中で、あるいはヒエラルキーが高い枠組みの中で生きやすく感じる生き物のようです。つまり、この日本の社会は、紛れもなく学歴をお持ちの方達が作り上げているため、その水準に合う所謂勉強ができる(学校のテストの出来がある程度よろしかった)人が生きやすいようになっています。
今まさに生きにくさを感じているのがそもそも勉強が足りていないということですか?と言われたら、難しい問題です。勉強ができたからといって生きやすいとも限らないのです。ただ、生きやすいと感じている人は日本においてはおそらく勉強がある程度できる人だと思います。必要十分の話ですね。
ですから、僕からしたら『勉強ができる』は、スポーツができること、音楽ができること、と一緒なのです。運動が得意でない人がスポーツアスリートの集団に囲まれて居心地良いわけがありませんし、音楽を少し齧った人が音楽理論を語れるような集団の中に入るとこれもまた居心地が悪くだけなのです。大きな枠組みで見て、今の日本がまだまだ学歴社会ですから、だから生きやすさを手に入れる一つの武器になって、尚且つ義務教育というマジョリティ養成コースがあるのだから、勉強はしておけよ、という話になるのです。
極論言えば、自分に何かできることがあって、生きやすさを同時に手に入れるなら、その何かで構成された枠組みに自分が身を置くことも一つかもしれませんね。
そんなわけで、「なんで勉強するの?」と聞かれたら、「ここ日本では生きやすいから。」と答えるしかないかなと、思います。
※もちろん今は学歴が高いと言われる人以外も活躍する場面が増えたため、日本においても枠組みが変化しつつあるのでしょう。ですから、割り切って勉強していても先行きが不安になることもあると感じます。がんばれ、にっぽん。
では、また。