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相手の期待に応えることについて考える

自分の人生を振り返ってみると、「他人の期待や希望を叶えることを目標にしてきた人生だったな」と思う。


私は生まれつき共感力が強く、人の気持ちに敏感である。

その性質のためか、「期待してるよ」とか、「こうしてほしい」と明確に言われないときでも、会話の端々から他人の「期待」や「希望」を無意識のうちに感じ取っていることがある。

私は人の役に立っていると実感できる瞬間が好きなので、人の「期待」や「希望」に気づくと、「叶えてあげたい」という気持ちになる。

そして、これまた無意識のうちに、「人の期待や希望を叶えること」が自分の行動を選択するときの基準になっていたりする。


この基準を持っていること自体は、悪いことではない。

人の希望を汲み取れるから、相手に喜んでもらえることも多いし、おかげでいろんな人からかわいがってもらえているとも思う。



問題なのは、「叶えなければ、自分の存在価値がない」という、極端な思考に走ってしまうとき。

かつての私は、自分そのものに価値があるとは思えず、「人の役に立てているかどうか」ということだけで自分の価値を推し量っていた。

まさに、「人の期待や希望を叶えなければ、自分の存在価値がない」という思考に陥っていたのである。

そうすると、役に立てている実感があるときは

「人生がすごく充実していて自信も持てる」

状態になれるのだが、役に立てていないな、と感じた瞬間に

「私ってこの世に存在している意味があるのだろうか…。」

と、ものすごーく暗い気持ちになり、自分の根っこが揺らぐ感覚に襲われる。


この現象が形を変えて何度も起こり、そのたびに自信をなくし、自分への価値を感じられなくなる…

そういう負のループを繰り返してきた。


この数カ月、自分の日々の感情や行動パターンを俯瞰するなかで、こういうメカニズムがあることがわかってきた。

そのことを夫に話してみたら、

「『役に立たなきゃいけない』じゃなくて、『自分ができることとか好きなことで誰かの役に立てたらいいな』って考えてみたら?」

という言葉が返ってきた。

正直、目からウロコだった。

どちらも、根底に「役に立ちたい」という気持ちがあるのは共通していて、ほんの少し角度が違うだけ。

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でも、ちょっと考え方を変えるだけで、楽しく取り組むことができそう。

自分がすごく楽になれそう。

よくよく考えたら、自分が楽に続けられる方が長続きするし、焦ったりせず前向きにいろいろ考えられるから、より高い成果が出やすかったりもする。

そっちの考え方を採用したほうが、自分にとっても相手にとってもプラスになるんだ!と気づき、衝撃を受けた。(そんな気づきをくれた夫には大変感謝している)


今でもふと気が付くと「役に立たなければならない!」と思う自分が顔を出すことはある。

それに気づけたら、「自分の好きなことで他の人の役に立てる、そんな未来を目指そうよ」と自分に語り掛けるようにしている。

その繰り返しを経て、少しずつではあるが、自分の気持ちを優先することができるようになり、自分の心地よい仕事のやり方を選択できるようになってきた。


きっと、このパターンをしばらくは何度もいったり来たりするんだろう。

その度ごとに、「『役に立たなければいけない』と思っていた場合の未来と、どれだけ変わったかな?」を振り返ったら、自分の歩みを実感できそうだな。

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