共感力が強すぎてつらいこと
私は自分が敏感で繊細であることを5年前くらいに自覚し、いろいろと本を読んでいたら、HSPという概念に出会った。
そこに書いてあることは「これ、全部私のことじゃないか…!」と思うことばかり。
物理的な刺激(音、におい、光)に弱い。共感力が強く、人の感情に敏感で、影響を受けやすい。
繊細であることによってすごく幸せな瞬間を深く味わえることもあるのだけれど、結構しんどい思いをすることも多い。
今日がまさにそんな日だった。
今日の夫は体調が優れないらしく、なんだかイライラしていた。思えば、昨日の夜から少しいつもと様子が違ったように思う。
私に当たり散らすとか、ものに当たるとか、決定的な出来事があったわけではない。
でも、ずっと一緒に過ごしているうちに、すごくしんどくなってしまった。
相手のちょっとしたしぐさや動作から、イライラしていることがわかってしまう。自分がイライラしているわけじゃないのに、相手の感情が入り込んできて、自分までイライラしてきてしまう。
共感より、共鳴している、という表現のほうがしっくりくる。
自分の意図とは関係なく、相手の感情に反応して、一緒に振動している感じがする。
たぶん、それを自分の意志でどうにかしようとしたから、疲れてしまったんだと思う。
どうにか冷静になろう、相手に対してイライラで応答しないようにしようと試みていたのだが、時間の経過とともに、自分の心が固く、石のようになっていく感覚に襲われた。
たぶん、無意識のうちに「自分が感じていること」を否定する行為だったからじゃないかと思う。
「あ、私しんどいんだな」と気づけたときには、もう疲れ切っていて、横になることしかできなかった。
心身ともに、結構なダメージを受けてしまった。
今になってみると、「今日は夫はイライラしているな」と気づいた時に、自分が出かけるという選択肢をとればよかったと思う。
そしたら、こんなに自分が疲れないですんだし、夫も一人でゆったり心身を休めることができたかもしれない。
相手がイライラしているという状況を変えることはできないし、自分がそれに影響を受けてしまう事実も変えられない。
そうであるなら、その状況下でお互いがなるべく気分よく過ごせる選択肢をとるのがベストだったんじゃなかろうか。
これまでの私は、自分の繊細さを否定し、克服しようとしてきたから、そういう第三の道を探ることをしてこなかった。
これからは、こんな時にどういう選択肢をとることがお互いの快適さにつながっていくのか、もっと探っていこうと思う。
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