近悦遠来とは誇りを持った大人が暮らし、それをみた子供達がこの土地に暮らし根付くことである。

近悦遠来。
そこに住む人々の生活が潤い活気に溢れていれば、人は自然と集まり、地域は潤うという意味だ。

近悦遠来。
コレは私の座右の銘でもある。

過去、私は起業、もしくは政治をもって近悦遠来を達成しようと考えていた時期があったが、今、その情熱を失っている。

正確な理由はわからないが、人間の心理として現状維持を望む傾向にあり、きっと今の暮らしを大切にしたい。激流に敢えて飲まれる必要は無いと考えているのかもしれない。

なんせ近年、自分自身が1番分からないのである。
何がしたいのか、その為になにができるのか。それすら果たして考えていただろうかと自らに問えば疑問が残るのが正直なところだ。

現状維持というのはそもそも乱暴だ。
家庭を持ち守りたいと思いながら、この衰退していく我が故郷、土佐清水市を顧みず己の保身のための現状維持。

近悦遠来。
土佐清水市が潤い活気が溢れ、土佐清水市に住みたいと思える様になるようになる為に、私はナニをしているか。

否。ナニもしていないのだ。

ナニもせずに近悦遠来なんていう素晴らしい言葉だけ安物のアクセサリーの様にぶら下げている様は決してかっこよくはない。

遠悦遠来。
なぜ、コレを目標とするか。
ソレは単純に自分の息子達が土佐清水市でこれからも暮らしていける為ではなかったのか。

息子達から見て今の私はかっこいいだろうか。もっと言えば誇らしいだろうか。

少なくとも自分が子供の目線に立てば、今の私はダサい大人だ。

息子達に自信を持って夢を語れる大人ではなくなっているのは自分自身が一番身に染みて分かっている。

分かっていながらナニができるかわからない。
わからないコトにあぐらをかいて考えている【ふり】をしているという、なんとも情けがない大人になってしまっている。

土佐清水市が衰退している原因。
ソレは明らかに残る理由の不足にある。

土佐清水市には清水高校以降の進路があまりにも少ない。
ハローワークの求人を見れば、介護、建設業、ホテルが主となり高校から社会に羽ばたくには選択肢が少なすぎる。

職の種類を増やす。
今、多死社会を迎えた土佐清水市に1番必要なコトは子供たちがこの土地に残れる様に職の種類を増やすしかないと思う。

例えば私が独立して会社を興しても、たかだか数人しか雇えないだろう。
しかし、こうした起業が春のタケノコの様にドンドンと増えれば、その積み重ねが雇用対策になり得ると考えている。

土佐清水市が今やるべきコト。
ソレは新たな起業を全力でサポートするコトではないかと思う。

もちろん、将来だけでなく現状の地域医療福祉の課題は大問題というのは承知の上で、そこにばかり注力していては、ソレこそ私の今の様に現状維持では緩やかに、しかし確実に衰退していっているという現実がある。

私が変われば世界が変わる。
とまでは言わないが、ここの意識を未来へ向けていくコトができれば少しづつ土佐清水市の未来は切り開かれるかもしれない。

今の私にナニができるか。
もがき苦しみながら行動していく。
小さなコトを小さなコトと笑わず、そこがなければ大きいコトもなし得ないとチャレンジしていく。

子供に自信を持って自分の仕事を誇れる様に生きるかという。本当にそれしかない。

今更ながらナニも起業とかに拘らなくてもいいかもしれない。大人が子供に自分の仕事を誇らしく語れる様になるだけで、随分と近悦遠来は近づいて来るのかもしれない。

大人たちよ誇りを持とう。
もし持てないなら変えていこう。
ソレは自分自身をなのか、ソレとも職を変えるのか分からないけれども、自分の仕事に誇りを持とう。

ソレが土佐清水市をほんの少し前に進める方法ではないか。

ほいたら、また。

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