最後の〝備え〟は「お別れのセレモニー」〜文春新書『ペットロス いつか来る「その日」のために』より③ 伊藤秀倫〜
「お別れのセレモニー」の重要性
「ペットロスへの備えとして、実は最後の『お別れのセレモニー』を納得できる形でできるかが、すごく大切なんです」と語るのは、前出のグリーフケアアドバイザーの阿部氏だ。
お墓と霊園探しの検索サイト「ライフドット」が直近3年間にペットを亡くした人たちを対象に行ったペットの供養に関する実態調査(2020年)によると、亡くなったペットの遺体の弔い方は、「民間施設での火葬」が45.8%で最も多く、「公営施設での火葬」(26.1%)、「自宅の庭に土葬」(12.1%)、「民間訪問火葬業者」(10.9%)と続く。またペットの供養にかかった費用は、「1万円未満」が22.0%に対して「1万円以上5万円未満」が37.6%と最も多く、「5万円以上10万円未満」(15.8%)、「10万円以上20万円未満」(4.8%)となっており、「高額化」の傾向が読み取れる。その結果、ペットの供養に「かなり満足している」「ほどほどに満足している」と答えた人は全体の63.4%となっているが、不満と答えた人の多くはその理由として「あまり考えずに決めてしまったこと」を挙げている。
これは私も経験したことだが、ペットを亡くした直後でも、火葬や葬儀の手配など事務的な動きは意外とできてしまうものだ。というよりも、「やらなきゃいけないこと」をこなすことで、目の前の受け入れ難い現実からわずかな時間でも目を背けたかったのだろう、と今ならわかる。
「そうなんです。それでよくあるのは、そうして電話した葬儀屋さんに『今日の夕方なら空きがあります』と言われて、慌てて火葬してしまうケースです。それは極端にしても、お別れの時間が短すぎると後で引きずることも少なくありません」(阿部氏)
私の場合は、「いま、逝っちゃいました」とミントの死をかかりつけの獣医に電話で報告したついでに、「どこかおすすめのペット火葬業者、ご存じですか」と尋ねて、札幌市内の動物霊園を紹介してもらった。他にもインターネットで検索したいくつかの業者にも電話して、スケジュールの空きや料金などを確認したものの、結局、電話対応の第一印象が決め手となって、紹介してもらった動物霊園で翌朝の11時半から火葬ということになった。ミントの死を確認してからそこに至るまで、1時間も経っていなかった。翌日、結果的にこの霊園で満足のいく「お別れ」ができたからよかったのだが、ちょっと急ぎすぎたかな、とやっぱり思う。
「亡くなってからお別れのセレモニーまでの時間、心ゆくまで身体を撫でて、話しかけて感謝の気持ちを伝えることが大切です。バギーにのっけて散歩してもいい。きちんと保冷の処置をしておけば、『早く火葬しないと』と慌てる必要はありません。私も亡くなった猫と5日間、一緒にいたことがあります。当時海外にいた娘がお別れを言うために帰国したい、と言ったからです」(同前)
時間をたっぷりとって、お別れのセレモニーを共有できる人が多ければ多いほど、それは後々助けになる。我が家の場合は、東京から札幌に移住して1年でミントが亡くなったため、ミントにゆかりの人々にセレモニーに立ち会ってもらうのは難しかったのだが、夫婦二人で見送るのはちょっと寂しかった。それだけに火葬場の担当者がいかにも心のこもったお悔やみの言葉を述べてくれたことにはだいぶ救われたのも確かだ。
言うまでもなくペット斎場や火葬場の人たちは、日常的にペットと飼い主の最期の瞬間に立ち会っている。彼らの目に映っている「ペットロス」とは、いったいどのようなものなのだろうか。
日本で唯一の「神式」のペット葬祭場
札幌の市街地から西へ車で15分も走ると、「小別沢」と呼ばれる一帯の意外なほど険しい山道に差し掛かる。小高い丘を縫うように登っていくと、真っ白な雪の中に鮮やかな赤い鳥居が浮かび上がった。“霊峰”木曾御嶽山を本山とする山岳信仰の神社として知られる札幌御嶽神社である。「やすらぎの丘」は、この神社に付属するペット霊園として、2011年からペットの葬儀を手掛けるようになった。神職の手による神式のペット葬を行っている葬祭場は、日本では恐らくここだけだ。
プロの宗教従事者である神職がペットロスをどう見ているのか──そんな取材趣旨を快く受け入れてくれた同霊園のマネージャー、菊地敦美さんは「取材の前にぜひ、施設を見ていただきたくて」と敷地内を案内してくれた。
札幌の街を見晴らせる丘の上に広がる約1万2000坪の広大な敷地の中に、本殿、ペット専用火葬炉を2つ備えた葬祭場、供養殿、ペット霊園などが居心地よい間隔で立ち並ぶ。とりわけペットの名が書かれた塔婆が立ち並ぶ納骨堂には、静謐な中にも、飼い主たちの亡くなったペットへの哀悼の情が満ちているようで、ちょっと圧倒される。敦美さんはこう語る。
「ペットの葬儀に立ち会うときは……今でも泣いてしまいますね。一時期はそれが自分でもすごく嫌でなるべく泣かないようにしようとしていたんですけど、どうしても泣けてしまって。いつかご遺族の方から『なんであんたが泣いてるの?』と𠮟られるんじゃないかと思っていたんですけど、むしろ『一緒に悲しんでくれて有難う』と言われることのほうが多くて、そのうちに『ああ、一緒に悲しんでいいんだ。泣いていいんだ』と思うようになりました」
遺族とのファーストコンタクトは、火葬の申し込みの電話から始まる。
「ごく稀に『1カ月前にペットが亡くなって、自宅に安置していたんですが、ようやく火葬する踏ん切りがつきました』という方もいらっしゃいますが、九割近くが『今、亡くなってしまったんですけど』とか『昨夜亡くなったんですけど』という方で、ペットが亡くなってからホームページなどで調べて電話を下さることが多いですね。事前に準備されている方は少ないです」
私自身もそうだったが、ペットがいよいよ危篤状態となっても、飼い主というものは、そんな中でちょっとした良い兆候を見出して、「これから回復していくかも」と一縷の望みをつなぐ。とてもじゃないが、その段階で亡くなった後のことを考えて準備するのは不可能に思える。縁起が悪いというよりも、懸命に生きようとするペットへの裏切りのように思えてしまうからだ。
「そうなんです。生前に死後の準備ができているのが理想だとは思いますが、絶対に無理なんです。私も自分の犬や猫を見送っていますが、やっぱり本当に亡くなるまで、死後の準備というのはできなかったですね。犬を亡くしたときは、既にここ(「やすらぎの丘」)に勤めていましたが、とても自分の仕事場で見送る勇気はなかったです。結局、移動火葬をやっている知り合いの方がいたので、家まで来てもらって、そこで送りました。もうメンタルがボロボロで、着替えてお化粧して外に出るという気力もなかったんです」
だから、ペットが生きているうちに葬儀のことまで「決める」必要はない。ただ「知っておく」だけでいい、と敦美さんは語る。意外と多いのが、ペットを亡くして動転したまま、市などの自治体の担当部署に連絡するケースだという。
「そこで『ペットが死んじゃったんです』と言ったら、『では動物管理センターへ持って行ってください』と言われます。そこへご遺体を持っていくと、市が委託している業者が決まった曜日に、ほかのご遺体とまとめて焼却するというシステムになっているわけですが、それを聞いて『こんなはずじゃなかった』『もっと家族とペットだけでお別れできる時間が欲しかった』と後悔される方も結構いらっしゃいます。納得したうえで選ばれたのであれば、まったく問題ないと思うのですが、そうでない場合は、やっぱり引きずってしまうことになると思います」
(他にも悪徳葬儀業者の見分け方や、慌てず別れの時間を作るときに大切なことなどが記されています。つづきはぜひ、本書を手にとってみていただけたら幸いです)
目次
第1章 「ペットロス」とは何か?
第2章 最初の〝備え〟は「よきホームドクター」
第3章 実録・私のペットロス
第4章 ペットロスアンケート 45人の「物語」
第5章 最後の〝備え〟は「お別れのセレモニー」
第6章 ペットを亡くしたら花を飾ろう
第7章 アメリカにおける「ペットロス」最前線
第8章 上沼恵美子さんの場合
第9章 壇蜜さんの場合
第10章 悲しみを和らげる方法はあるのか?
第11章 新しいペットを迎える
(プロローグ「号泣する準備はできていなかった」より)
ペットを飼っている人で、いつか来る「その日」のことを考えない人はいないだろう。自分もそうだった。だが、いざ「その日」を迎えてみると、予想していたはずの衝撃に、ほとんど何の備えもできていなかったことを思い知らされた。
ミントが亡くなって2日後のことだ。冷蔵庫を整理していた妻が「こんなの買ったっけ?」と手にした「カブ」を見て、反射的に涙が出た。それはあの日、スーパーで買ったカブだった。ミントの食欲が衰え始めたとき、犬用の自然食の製造・販売を手掛けている友人に相談したところ、「『カブのすりおろし』がいいんじゃないかな。そういう状態でも、それなら食べられるという子もいるから」と言っていたのを思い出して、カゴに放り込み、続いて精肉売り場で「大好きな鶏ナンコツなら食べられるかな。それとも目先をかえてラム肉にするか」などと考えていたときに、ミントは旅立ったのだ。この10分のロスのせいで、最期の瞬間に立ち会えなかった──。
カブを見て泣きながら、そんなことを一気に思い出した。思い出したから泣いたのではなく、身体が勝手に反応して涙が出た、という経験は初めてだった。四十すぎの男がカブを見て、しゃくりあげる姿に自分で戸惑いながら、「これはマズい」と思った。号泣する準備はできていなかったのだ。
これが「ペットロス」というものなのだとすれば、事前に思い描いていたものとは全く違う。何となく日常生活でミントの不在を感じるたびに寂しくなるのだろうと想像していたが、実際に我が身に起きた心と身体の反応は、自分で制御することが不可能なほど激烈で、空恐ろしい気すらした。
(略)
「ペットロス」とはいったい何なのだろうか。その衝撃を和らげる方法はあるのだろうか。そもそも「ペットロス」を乗り越えることは可能なのだろうか。
疑問は次々と湧いてくるが、インターネットで調べてみても、なかなか自分が必要としている情報には辿り着けなかった。この経験が本書の出発点である。
●伊藤秀倫(いとう・ひでのり)
1975年生まれ。東京大学文学部卒。1998年文藝春秋入社。「Sports Graphic Number」「文藝春秋」「週刊文春」編集部などを経て、2019年フリーに。ヒグマ問題やペットロスなど動物と人間の関わりをテーマに取材している。現在は札幌在住。
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