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ぼくの耳にきらきらと響いた――「天使は奇跡を希う」020

 ぼくの耳にきらきらと響いた――「天使は奇跡を希う」020

「ああ」

 高ぶった声で応えながら、自転車を漕いでいく。

 神話めいた風景が橋の左側にあり、右側には今治の町が遠く霞んで広がっている。

 手前に広がる海は光の加減で白い雪原のように見え、進む運搬船が南極に向かう調査船に映る。

神の領域と、人の領域。神話のような風景と、現代の風景。

 その境界と混じり合いが、来島海峡大橋から見渡せた。

 バサッ……バサッ……

 潮風を含んでゆっくりと手放すように、彼女の翼がはためく。

 ぼくの仰ぐ空がその加速度で流れる。

「空飛んでるみたいじゃない?」

 彼女も空を見ているのだろうか。

 翼の音を聞いて、ふわりとした加速を感じながら晴れた空を見上げていると……

 星月さんが本当にこのまま天に帰れるんじゃないかと思えてくる。

「なあ。帰れるんじゃないか?」

「かもっ」

 言って、勢いよく何度も羽ばたく。

 ぐんぐん速度が上がる。と、向かいからロードバイクがすれ違おうとしていた。

 まずい。羽にぶつかる。

「星月さんっ!」

「――っ⁉」

 翼をたたみ、すんでのところで回避した。

 乗り手の白人女性が怪訝そうにちら見してきた。

「あー危なかった……」

 彼女が息を吐きながら、ぼくの背中にぴったりとくっついている。

 反応するとかえっていやらしい気がして、ぼくは何事もないふうにしていたのだけど、なにか色々どうしようもなくなってきて、さりげなく体をもぞりと動かした。

 と、彼女が小さく跳ねて、それからそっと体を離していき……ふいにぼくの肩を叩く。

「もうっスケベ」

「お前がくっついたんだろ!」

 弾けるように笑う彼女の声が、ぼくの耳にきらきらと響いた。

 ぼくたちは自転車に乗りながら天使の翼を羽ばたかせ、海を渡り空を流す。

「あー、楽しいねえ」

 背中から、彼女の声。

 ほんの少し振り向くと、ゆったり動く白い羽先が見えた。

 笑顔でいるのだろう。声のようにきらきらとした印象で。

 ぼくは、そんなことを思いながら。風のように軽いペダルを回しながら、ふと……

 もっとちゃんと後ろを向いて、星月さんを見たいと思ったりした。




 ……あのとき、優花がどんな顔でいたのか。

 どんな思いを胸に秘めていたのか。

 ぼくがそれを知るのは、ずいぶんと後のことになる。


 これは、天使が奇跡を希(こいねが)う物語。



 ぼくと優花の、魂をかけた物語だ。


七月隆文・著/前康輔・写真 

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