見出し画像

ぼくにだけ見えている――「天使は奇跡を希う」001

 ぼくのクラスには天使がいる。

 天使のように可愛いという比喩じゃなく、正真正銘、本物の天使だ。

 星月(ほづき)優花というなんだか芸能人みたいな名前をした彼女は、その字面ほどではないけどけっこう可愛く、表情の動きが魅力的で、笑顔はぱっと光るような華があり――


 背中から、大きな白い翼を伸ばしている。

 そんな彼女は今の休み時間、ぼくの斜め前の席で女子と屯(たむろ)しながら、


 「天使なんて空想の存在に決まってるじゃん!」

 と言いつつ、背中の翼をバッサバッサとはためかせている。

 ぼくはツッコみたい衝動を奥歯を嚙んでこらえる。

 しかもさっきの発言のきっかけが「え、いま誰かユーカのこと天使って言った……?」という脈絡のないナルシスト発言からのセルフツッコミで、輪をかけてひどい。

 けれど女子たちは笑うだけ。

 なぜなら、翼が見えてないから。

 ぼくにしか、見えていないから。

 それが幻覚でないことは、すでに証明されている。

 「でもわたしって、天使みたいに可愛いからなー。実は天使かも? なにしろユーカだし!」

 えへぇっ! とわざとらしいブリッ子笑いをして周りの「ハイハイ」という失笑を買いに行きつつ、その勢いで翼がスイングし――後ろの机にある筆箱にぶつかった。

 がしゃり。

 飛んだ筆箱が床に落ち、中に入っているペンの束が擦れてずれる音がした。

 その響きは教室の中でささいな異物となり、みんなが反射的に目を向ける。

 中に、軽くこわばった表情がちらほら。それはぶつかった瞬間を目撃したらしい面々で、一言でいうなら「おかしな現象を目撃したまなざし」をしていた。

 たとえば、何もないのにいきなり筆箱が飛んだ――という現象を。

 そう。あの翼は物にぶつかるし、風だって起こす。間違いなく彼女の背中に実在するものだ。ぼくにしか見えないだけで。

 みんなが筆箱に注目する沈黙の刹那、彼女はふいに芝居がかった動作できょろきょろとし、

 「風? それとも、天使の悪戯……?」

 と、ボケた。

 みんなが小さく笑い、空気が緩む。彼女のアイドル性がきらきら光って、みんなそこに引き込まれた。けど。

 ――何が天使の悪戯? だよ!

 ぼくは一人、ツッコみたい衝動にもだえ苦しむ。

 ――お前天使だろ‼

 思いきり言ってやりたい。

 彼女が転校してきてからというものずっとこんな感じで、ぼくは一人、目をそらしながら衝動をやり過ごすのだった。

 どうにか鎮めて前に向き直ると――


 彼女が、ぼくを見ていた。


 友達に囲まれながら、その垣根の隙間からそっとのぞくような、さりげなくも、たしかな興味を持って。

 そう。彼女とはときどき、こんなふうに目が合う。

 まずいかもしれない、と思った。


七月隆文・著/前康輔・写真 




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?