いたっ、とか言うな!――「天使は奇跡を希う」004
「なんでここに……?」
「猫、入っていかなかった?」
彼女が聞く。食堂のおばさんが餌付けしているらしく、このあたりにはけっこういる(ちなみに餌付けの知識も見聞録で得たものだ)。
「入ってないよ」
「そっかー」
言って、星月さんは日陰と同じ明るさをした部室を見る。
「ね、ここは何?」
「新聞部の部室」
「新海くん、新聞部なんだ」
「うん」
「へえー」
楽しげな顔で奥に目をやり、
「ちょっと見学してもいい?」
「いいけど」
すると、星月さんは軽い足取りで中に入ってきた。
ガッ
翼が戸に引っかかった。
「――っ!」
ぼくはとっさに顔をそらす。
「いたっ」
――いたっとか言うな!
こいつ、わざとやってるんじゃないだろうな⁉
「新海くん、どうしたの? なんか震えてるけど」
「……なんでもない」
ツッコみたい衝動を必死にこらえる。
「わー、狭いね」
言いながら、机と壁の間をずりずりと進む。この小さな部室で見ると、彼女の翼はしっかりと大きくて存在感がある。
間近にあっても、特に匂いはしない。ただ空気がちょっと涼しくなったというか、クリアになったような感覚がする。その白さが山登りのときに見た雲に似ているせいかもしれない。
「あ、これアレだよね。タイプライター」
星月さんが、奥の机に置かれていた古いワープロを手にする。
「いや、ワープロだよ。書院っていう昔の」
かなりの初期型だと先輩から伝え聞いている。
「使ってるの?」
「使ってない」
「ふーん」
書院を元の位置に戻し、他に何か面白いものはないかと探している。
でもここにあるのは、そういういつからあるのかもわからないような遺物ばかりだ。
そのとき、ポケットの中でスマホが震えた。
これから向かうという、成美からのメッセージ。
いちいち言ってこなくていいのに。まめなやつだった。ぼくはスタンプ一つで返事する。
「ねえ新海くん! ほらほらっ」
その声に、ぼくは振り向く。
「天使の輪」
星月さんが、リングの蛍光灯を頭上に掲げていた。
…………。
「舞い降りたと思った? 天使、舞い降りちゃったと思った?」
ねえねえ? とうざい感じで言いながら、翼をバッサバッサはためかせる。
その風に前髪を煽られながら―――ぼくの中で何かがぶちり、と切れる音がした。
「でもざーんねん。星月はただの可愛すぎる女の子だよ? 天使なんて現実には存在しな――」
「天使だろ」
ぼくは、とうとう。
「お前天使だろ! 羽あるじゃん! 背中に‼」
言ってしまった。
七月隆文・著/前康輔・写真
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