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【カナダ横断記②】教会でスピーチ、それがテレビ中継される

どもー。
分析太郎です。

様々な業種の市場分析や、
ビジネスアイデア考察を
生業にしています。

学生時代、
大学を休学し、
カナダを西から東へ
自転車で横断しました。
5ヶ月で8,000km走りました。


現地で購入した自転車


大学の広報誌に
寄稿した記事があったので、
noteにも載せます。

テーマは、
「教会でスピーチ、それがテレビ中継される」
です。
それではどうぞ。


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6月18日、私はカナダ中部のマニトバ州にあるラッセルという町からミネドーサという町へ自転車を漕いで移動していた。この辺りはどこも田舎で、町から町へは基本的に数十キロの距離があり、それ以外の場所は緑々しい草原が見渡す限り広がっているだけだった。初めはその広大な美しさに心を奪われていたが、1週間近く同じ景色が続くとさすがに飽きがくる。どれだけ漕いでも一向に景色が変わらないので、まるでずっと同じ場所を走っているかのような錯覚に陥り、当時は肉体的にも精神的にもかなり疲弊していた。



マニトバ州の道の様子。こんなのが一生続く。


6月18日の午後7時ごろ、順調に漕ぎ進めていたところで突然後輪がパンクした。私はため息をつきながら路肩に自転車を寝かせ、速やかに荷物を確認し修理道具を取り出した。ところが、道具入れの中にはパンク修理に必要なパッチがひとつも入っていなかった。これでは先に進むことができない。この日の目的地であるミネドーサへはまだ20km近く距離がある。私は色々面倒くさくなって自転車を路肩に寝かせたまま、しばらく草原に横になってぼーっと空を眺めていた。


すると、20mくらい後方に一台の車が停まった。気になって見ていると、中から50代前半くらいの男女が出てきて、こちらへゆっくり歩いてきた。私は体を起こして警戒しつつ、離れた距離から二人に軽く会釈をした。二人とも笑顔で応えてくれた。

「何してるの~?」

女性が気さくに話しかけてきた。私は自分がカナダを自転車で横断していること、次の町のミネドーサに向かっていたがパンクし、しかもパッチがなかったので仕方なく休憩していることを二人に伝えた。するとそれを聞いた男性が急に険しい顔つきになった。何を言われるのかと思ったら、彼はこんなことを言った。


「それは大変だ。もうすぐ日が暮れてしまうぞ。ようし、隣町に自転車好きの友人がいるから、今からそいつを連れてきてやる。彼ならパッチを持っているに違いないからな。」


初めは冗談を言っているのかと思った。たかが一外国人のために、そこまでしてくれるはずがないだろうと思ったのだ。ところが二人は本気らしく、私に「ここで待っていなさい」とだけ言い残すと車の方へと戻り始めた。本当に連れてくる気だと悟った私は、生粋の日本人魂を発揮し「いやいやいや!そこまでしなくていいよ!」と力強く遠慮した。だが二人は「いいから」とだけ言って車のエンジンをかけ、素早くUターンして私が通ってきた道を走って行ってしまった。「隣町って、だいぶ先だろ…」と思った。


およそ40分後、またさっきの車が見えてきて私のそばに停まった。中から先ほどの男性と、また一人新しい男性が出てきた。こちらの方が恐らく自転車好きの友人だ。先ほどの女性はもういなかった。


自転車好きの男性は修理パッチを数えきれないほど持ってきてくれた。また、パック詰めにされた美味しそうなタンドリーチキンも私にくれた。さらに、疲れている私のためにパンクの修理と自転車の点検までしてくれた。私は二人に何度も感謝の言葉を述べた。



私たちはここでようやく自己紹介をした。ご友人を連れてきてくれた男性の名前はロジャーさん、そしてそのご友人の名前はエドさん。女性の方はロジャーさんの奥さんで、名前はロイスさん。このお三方が助けてくださったお陰で、私は無事に横断を再開することができるようになった。


左側がロジャーさん、右側がエドさん


自転車を起こし、最後にお礼を言ってお別れしようとしたとき、ロジャーさんから「これからミネドーサに向かうのか?」と質問されたので、はいと答えると、「今に陽が沈むから、俺が車で送ってやる」と提案された。私の心中では、もはや感激を通り越して「どうしてここまで親切にしてくれるんだ?」と疑念すら湧いた。せっかくのご好意を頂いたので、お言葉に甘えてミネドーサまで送ってもらうことにした。


車の中で3人で楽しく話をした。私は自分のこれまでの旅の話をし、二人はとても面白がって聴いてくれた。また、話をしていて、ロジャーさんが敬虔なクリスチャンであることが分かった。「だからこんなに優しくしてくれたのか」と心底納得した。


およそ20分後、ミネドーサに到着した。二人は私をこの日泊まる予定だったキャンプ場まで送ってくれた。しかもロジャーさんはキャンプサイトの料金まで支払ってくれた。加えてエドさんはキャンプファイア用の薪まで購入してくれた。「今夜は冷えるから、キャンプファイアで暖を取りなよ」とロジャーさんは言った。私は感激のあまり言葉が出てこなかった。連絡先を交換し、またいつかお会いましょうと力強くハグをして、午後9時過ぎに二人とお別れした。その日の晩、エドさんから頂いたタンドリーチキンを食べながら、キャンプファイアの火に当たった。本当に暖かかった。


タンドリーチキン。綺麗な写真がなくてすんません。


翌19日の朝7時過ぎ、テントで寝ていると外から「おい〇〇(僕の名前)、起きてるか」と男性の声で名前を呼ばれるのが聞こえた。寝ぼけ眼でテントのチャックを開け外に顔を出すと、なんとそこにはまたロジャーさんがいた。ロジャーさんは「〇〇、今日が何の日だか知っているか?今日は父の日だ。そこで、父の日を祝して、午前11時からこの町の教会でお話し会があるんだが、お前も来ないか?」と提案してきた。私は「クリスチャンじゃないけど参加してもいいの?」と質問するとロジャーさんは「そんなことは関係ないよ」と言った。私は行くと答えた。


午前11時、キャンプ場から少し離れたところにある小さな教会に着いた。中には十数名の参加者が集まっていた。その中にはロジャーさんの奥さんのロイスさんもいたので、前日のお礼を伝えた。ロジャーさんは出席者の方々に私のことを紹介してくれた。すると皆から握手を求められたくさんの応援の言葉を頂いた。


ミネドーサの教会


私はロジャーさんたちに並んで最前列の席に座った。会が始まると、ポップ調の讃美歌が流れ始め、皆立ち上がってステップを踏みながら楽しく歌った。


歌い終わったのち、教会の牧師さんの話がしばらく続いた。すると今度はロジャーさんが立ち上がって講壇で話をし始めた。何を言っているのかよくわからなかったが黙って話に耳を傾けていると、私はロジャーさんに名前を呼ばれ、講壇に上がってきなさいと言われた。改めてロジャーさんは出席者の皆さんに私のことを紹介してくれた。すると、ロジャーさんからこんな提案をされた。


「〇〇、今日は父の日だ。あそこにカメラがあるだろう。今からあそこに向かって、日本語でいいから、日本にいるお父さんに感謝の言葉を伝えなさい。」


それはどうやら地元テレビ局のカメラのようだった。私は心底感動し、これを機に日頃から抱いていた父親そして家族への感謝の思いを3分近く話した。一通り話し終えると、ロジャーさんから無茶な提案をされた。


「終わったか?そしたら今話したことを私たちにもわかるように英語で話してくれ」


そんなもん言えるか!と思った。だが引き下がれる状況でもない。私は知っている限りの英単語と絶え間ないボディランゲージを駆使して感謝の言葉を翻訳した。参加者の中には小首を傾げている人もいたが、最後には皆拍手をしてくれたので、多分伝わったのだろう。


その後何故かロイスさんが講壇に立って歌を大熱唱しだし、また牧師さんの話がしばらくあって、会は終了となった。


最後にもう一度ロジャーさんとロイスさんに感謝の言葉を伝え、また強くハグをしてお別れした。ロジャーさんは「いつでも連絡してくれよ。応援してるからな」と言った。たった2日間の出来事だったが、とても濃密な時間だった。




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以上になります。
いかがでしたでしょうか。

最後までお読みいただき、
ありがとうございました。

Part3あります。


あ、本業は市場分析屋です。
色んな業種の市場分析やってます。


モチベUP記事たくさん書いてます。


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