【映画】「WORTH 命の値段」感想・レビュー・解説

これは凄い。表現は適切ではないだろうが、まさに「THE 現実」と言うしかない世界だ。ここには、「現実の不条理」がすべて詰まっているように思える。そんな「現実」に、ほとんど自ら志願するような形で関わった人物の、実話を元にした物語だ。

9.11テロの犠牲者の命に「値段」をつけた男の物語である。

そもそも僕は、「犠牲者の命に値段をつける」という状況について、あまり詳しくイメージしていなかった。なんとなく、「裁判の資料の使うのか」程度に考えていたぐらいだ。

しかし、全然そうじゃなかった。そこには、色んな思惑が絡んでいる。まずはその辺りのことを説明したいと思う。

9.11テロ直後、アメリカ国家と航空業界は「ある懸念」を抱いた。テロ犠牲者遺族が、航空会社を訴えるかもしれない、というものだ。訴訟大国アメリカであれば、当然想定される事態だろう。そして、もしもそれが現実になれば、とんでもないことになる。何年も掛けた長大な裁判が行われ、負ければ莫大な賠償金が課せられることになるからだ。航空会社としても大損失だが、アメリカの経済も大打撃を受けるだろう。そうなれば、国全体の問題と言える。

そこでアメリカと航空業界は、「どうにか訴訟を回避する方法」を模索した。そしてたった1日である法案を可決する。それが、「『訴訟権を放棄する』ことで、国から補償金が支給される」という基金に関するものだ。補償金を受け取ってくれる人が多ければ、仮に訴訟に発展しても損害は低く抑えられる。そのような思惑を元に作られた仕組みである。

さてそうなると次は、「補償金をいくらに設定すればいいのか」という問題が出てくる。分かりやすいのは「全員一律の値段に設定する」というものだろう。しかし、そうは出来ない事情があった。それはまさに「ワールド・トレード・センタービル」という、大企業のオフィスが多数入るビルが標的にされたことが関係している。いわゆる「高給取り」だった人物の遺族が、例えば「ビルの清掃人」と同じ補償金では納得しないと想定されたのだ。実際に映画では、その「高給取り」側だろう人物から、「金額に納得できなければ別の手段を取る」と、暗に訴訟をちらつかせるような場面も描かれる。「補償金」は、表向きの名目は「被害者救済」だが、実際には「訴訟権の取り上げ」こそが目的なのだから、遺族が金額に納得しなければ話が進まない。

というわけで、被害者ごとに異なる補償金額を算出しかなくなった。

そこで白羽の矢を立てられたのが、この映画の主人公であるケネス(ケン)・ファインバーグである。これまでも、様々な事件で和解や補償を担当したことがあり、適任だと判断されたのだ。

打診を受けたケンは、なんとこの依頼を無償で引き受ける。彼は、この基金の目的が「訴訟権の取り上げ」であることを理解していたが、一方、弁護士として「訴訟はベストな選択ではない」とも考えていた。恐らく裁判は10年以上続くだろうし、必ず勝てる保証もない。だったら、補償金をもらう方がいいし、遺族もきっとそう判断する、と考えたのだ。そこで、「遺族の役に立ちたい」と考えて志願したのだ。

これが、この映画で描かれる「現実」である。そしてケンは、彼自身が想像もしていなかった「現実」に直面することになる。

まさにそれは、「行動経済学」だよなぁと言いたくなるようなものだ。

「人間が物事を合理的に判断すること」を前提にした「経済学」とは異なり、「人間は時に不合理で、時に不可解な選択をする」という事実を組み込んだのが「行動経済学」である。ケンは、「経済学」的な発想から、「訴訟よりも補償金を受け取るほうがベスト」と考えており、恐らく、遺族もそう考えるはずだ、と思っていた。また彼には、「『公平さ』よりも、『前に進むこと』の方が重要だ」という考えもある。だから、「確かに『不公平』かもしれないが、自分が提示する『命の値段を算出する計算式』がベストなアイデアだ」と信じ、そういうマインドで遺族と向き合うのだ。

もちろん、そんな態度は遺族の反発を買う。なにせ、テロが起こってからまだ日が浅いのだ。ただ、これまでもすべての案件を成功に導いてきたケンのスタンスは揺るがない。申請者たちの話を聞くスタッフに対して、「私情を挟むな」と声を荒らげるくらいだ。

しかし、ケンには達成すべき目標が設定されている。それが、「全遺族の内80%以上の申請を受けること」だ。つまり、訴訟に回る可能性がある者を20%以下に抑えたい、というわけである。

にも拘わらず、申請者の数は一向に伸びない。基金創設から2年間の期限が設けられているのだが、期限が近づいても10%台までしか達成できていないのだ。

その理由の1つと言えるのが、被害者遺族の1人であるチャールズ・ウルフである。彼は「計算式には問題がある」と主張し、被害者遺族のリーダー的な存在になっていた。と書くとなんとなく「悪い印象」になるかもしれないが、まったくそんなことはない。「倫理的に正しくないことには納得できないし、徹底的に闘う」というスタンスはとても強いものの、人間としては非常に真っ当だ。ケンと直接話をする場面も何度か描かれるが、「個人的な恨みはない」という彼のスタンスは、その振る舞いを見ていれば明らかである。

当初こそ、「不公平かもしれないし、正しくもないかもしれないが、しかしこのやり方しかない」と自信を持っていたケンも、申請率の低さという現実を突きつけられ、考えを変えざるを得なくなる。しかし、全権が委任されている「特別管理人」であるケンではあるが、方針を変えるのは難しい。というのも、「法案の再提出」ということになれば、法案そのものが無くなってしまうとケンは想定していたからだ。

そういう板挟みの状況の中で、ケンはどんな決断を下すのか……。

なんというか、実話とは思えないぐらい状況設定がとても「物語的」だと思う。普通の状況であれば、補償金額は「力が強い側」が決めてしまえるだろう。弁護士は、その間に立って調整すればいい。もちろんそれだって簡単な仕事ではないが、ケンがこれまでやってきたのはそういう仕事なのだろう。ただ今回は、「力が強い側」が補償金額を決められはしない。最大の目的は「訴訟権の取り上げ」であり、そのためには「遺族が納得する金額」を支払う必要があるからだ。

また、ウルフという登場人物もとても良い。この映画はフィクションであり、しかも9.11テロを題材にしていることもあり、「どういう形であれ、被害者側を『悪く』は描けない」みたいなところはあると思う。だから、もしも「チャールズ・ウルフ」という人物が本当は「悪どい人間」だったとしても、映画ではそのようには描かれないだろう。ただ、なんとなくだが、ウルフというのは映画で描かれたような人物なのではないかと感じた。理由は上手く説明できないが、ウルフがああいう人物だったからこそ、最終的にああいう結末に行き着いたんじゃないかと感じるからだ。

こういう、「非常に物語的な要素」が存在するので、実話を元にしていながら、どことなく「フィクショナル」な感じもある。そして、そのような「フィクショナル」感のある物語が、実話を元にしているのだという事実が、余計にこの物語を「強い」ものにしている印象があった。

僕は、こんな実話をもちろん知らなかったので、結末がどんな風になるのかも知らなかった。僕は割と最後の方まで、「これ、どうやって決着するんだろう?」と思っていた。状況的には結構「詰んでる」というか、ケン自身が言っていたように「どうしていいか分からない」みたいな状態にあったからだ。

映画ではもちろん、断片的にしか描かれないわけだが、2年間という長きに渡ってこの問題に向き合い続けたケンやそのスタッフたちは、相当苦労しただろうと思う。本当に、「これが誰かの役に立っているはずだ」という感覚がなければやってられなかっただろう。

被害者遺族の状況については、この感想では触れないが、「なるほど、そういうパターンもあるのか」みたいな話が色々あって、こう言ってはなんだが、とても興味深かった。特に、映画の中で重点的に取り上げられる被害者遺族が、ウルフの他に2組ほどいるのだけど、どちらも「なかなか残酷だ」と感じさせられた。一方は、「どこかで線を引かなければならない」という理由の犠牲になった人であり、もう一方は、「『死』以外の『残酷な現実』」に直面せざるを得なかった人である。どちらも、「仕方ない」と言えば仕方ないが、「仕方ない」で済ませたくもない気持ちもある。

映画全体では、もちろん主人公であるケンの印象が強いわけだが、同じぐらいウルフも見事な存在感を出している。ウルフのスタンスは、僕にとっては非常に好ましいものだった。仮に僕が何らかの「被害者」になった時、ウルフのように振る舞いたいと感じたほどだ。ある意味で、この映画が描く状況すべてにおける「キーパーソン」となったウルフが、人間的にとても真っ当な人物だったことは、ケンにとっても被害者遺族にとっても幸運だったのではないかと思う。

本当に、「THE 現実」を詰め込んだような凄まじい物語だった。

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