【映画】「マリウポリ 7日間の記録」感想・レビュー・解説

映画として成立しているのかと聞かれるとなんとも言えないし、退屈かどうかと聞かれればやはり退屈だと答えてしまうかもしれない。それでも、やはり、こういう映画が存在することに衝撃を覚えるし、そこには何か価値があるのだと思う。

とにかく、この映画は、状況の説明を一切しない。もし、なんの前情報も持たずにこの映画を観た場合、「マリウポリ 7日間の記録」以外の具体的な情報を、この映画から得ることは難しいだろう。映し出されているのはどういう人たちで、どういう状況にあって、何が展開されているのかなど、まったくわからない。とにかく、「観て分かる情報」以外のものをすべて排除して構成されていると言っていいだろう。

だから、この映画を観ようとしている人は、公式HPぐらいはチェックしてから劇場に行ってもいいかもしれない。

監督は、ウクライナ侵攻が始まって間もない3月に現地入りし、廃墟のような街中で被害を受けなかった教会に避難している数十人の市民らと共に生活をしながら撮影を開始したそうだ。しかし、撮影開始から数日後、親ロシア派に拘束され殺害されてしまう。撮影済みの素材は、フィアンセだった助監督が回収し、遺体と共に帰国したという。

映画の中では、「戦争」と聞いて僕らが容易に想像しうるような「ドラマティックな出来事」は何も起こらない。そしてだからこそ、「これが戦争のリアルなのだ」と実感させられる。

住民は、明らかに近くに着弾しているだろうロケット砲の爆音を背景に、そんな音など鳴り響いていないかのように「日常生活」を続ける。瓦礫の中から薪や鍋を拾って煮炊きをし、危険だからとトイレに行くのを躊躇し、教会で祈りを捧げる。カメラは、少し遠くをズームで捉え、火の手や煙を映し出す。

それが、彼らの日常である。

「戦争」というのはあまりにも僕らの日常から遠いので、どうしても「極端な何か」をイメージしてしまいがちだと思う。もちろん、この映画で映し出される現実もとても「極端」だ。ただ、それはあくまでも「日常」でもある。「戦場」にも「日常」がある。「戦争」からあまりに遠い世界に生きていると忘れてしまいがちなこの事実を、その静かな映像によって強烈に突きつける、そんな作品だと思う。

改めて凄まじい時代に生きていると感じるし、改めて、こんなクソみたいな日常を生きなければならない人がいなくなる世界であってほしいと感じた。

この記事が参加している募集

映画感想文

サポートいただけると励みになります!