【映画】「LOVE LIFE」感想・レビュー・解説

メチャクチャ良い映画だった。正直、観るつもりのなかった映画だが、観て良かった。半径50m圏内ぐらいで起こる、メチャクチャミニマムな話だけど(ラストの展開はともかく)、その狭い範囲の世界の中で物凄く上手く物語を展開させている。随所で、「上手いなぁ」と感じる場面があり、感心させられてしまった。

まずは内容の紹介を。

ホームレス支援のNPOで働く大沢妙子は、夫で市役所の福祉課主任である二郎と結婚し、息子・敬太と3人で暮らしている。同じ団地の向かい側に二郎の両親が住んでおり、妙子が住んでる部屋も義両親の持ち物だ。
敬太はオセロが強く、大会で優勝を果たした。そのお祝いをするという名目で、妙子と二郎はある思惑を進行させていた。実はとある事情から、二郎の父は妙子との結婚に反対しており、既に籍は入れているものの、微妙なわだかまりが残っている。そこで、その雪解けを願って、二郎の父のことを知る市役所の後輩たちにも手伝ってもらい(二郎の父も元々市役所職員だった)、サプライズを計画している。
普段、二郎は職場の人の話を妙子にしてくれており、準備に集まってくれた人たちのことも知っている。しかしその中に、妙子には見覚えのない女性がいた。山崎というその女性の話は、二郎の話に出てきたことはない。
義両親がやってきて、敬太のお祝いをする。その後、「中古品でも良い釣具が手に入る」という話題から、妙子と義父との緊迫したやり取りが始まるが、義母の取り成しでなんとか収まり、サプライズも大成功。市役所の後輩も呼んで、部屋ではカラオケ大会が行われていた。
そんな中、悲劇が起こる。
そしてその悲劇は、意気消沈する夫婦の前に、一人の男を呼び寄せるきっかけとなった。パク・シンジ。彼は、妙子の前夫であり、敬太の父親であり、敬太を置いて突然失踪した男だった……。
というような話です。

この映画は、必要な情報を観客に向けて打ち出すタイミングが絶妙だと思う。だから、上述の内容紹介では、「徐々に知っておくべき」だと僕が感じる情報については触れていない。本当は、「パクが妙子の前夫であり、敬太の父親だ」という情報も書かない方がいいのだが、公式HPの内容紹介にはそこまで触れられているので、それは許容範囲だろうと判断した。

情報が見事なタイミングで小出しにされる構成だということもあり、物語の冒頭から、一体何がどう展開していくのか、全然予想がつかない。物語の舞台は、「団地」「公園」「市役所」がほぼメインで、物凄く「日常感」に溢れるものだ。物語を構成する1つ1つの要素も、「日常感に溢れたもの」だと言っていいかもしれない。「ホームレスの支援」という要素だけが、私たちにとっては「よくある日常」とは言い難いだろうが、この映画に登場するそれ以外の要素はどれも、結婚していたり子どもを育てていたりする人にとっては「起こり得ること」であり、そういう意味でとても「ミニマムな舞台設定」だと言える。

しかし、それらの要素の「重ね合わせ方」が絶妙で、よくもまあこんな「ミニマムな舞台設定」において、こんなに「底知れない物語」を描き出せるものだと感心させられた。

出来るだけ具体的な情報に触れずに映画のことを何か書くのはなかなか難しいのだが、この映画で描かれているのは、「血の繋がり」と「過去の決断」と「共依存」かなと僕は思う。

僕は、「血の繋がり」についてはマジでどうでもいいと思っていて、「血の繋がっている関係の方が重要」みたいな感覚が一切ない。しかし、どうも世の中はそうではなさそうだ。この点については、特に妙子の義両親の反応から見て取れる。彼らは彼らなりに、妙子との関係を築こうと思っているのだが、しかし同時に、「敬太が二郎とは血の繋がらない子どもである」という事実をしこりのように抱き続けている。僕は、結婚もしてないし子どもも育てていないから何の説得力もないことは分かっているが、しかし正直なところ、「血が繋がってるから何なんだ?」としか思えない。

もちろん、血の繋がりに囚われてしまうことを悪く言いたいわけではないのだけど、個人的には「そんなことマジでどうでもいい」という世の中に早くなってくれないかなと思う。

「過去の決断」は、妙子と二郎が共に抱える問題だと言っていいだろう。それぞれがそれぞれの立場において、「過去のあの決断は正しかったのだろうか?」という感覚を抱いている。そしてその感覚は、二郎・妙子それぞれの行動によってその大きさが変化していく。

それぞれの決断は、結局のところ、「二郎・妙子と結婚すべきかどうか?」というものであり、お互いがそう決断したからこそ、2人は夫婦になっている。しかし、様々な場面で、その決断が正しかったのかと気持ちを揺るがせる状況が起こる。そしてそれらが、物語の展開の中で実に自然に起こるのだ。とても上手い。自然な展開の連続によって、実に奇妙な、普通とはとても呼べないような状況が現出する様は、なんとなく魔術的でもある。

そして、映画の中で一番インパクトが強いと感じたのが「共依存」だ。これは、妙子とパクの間の話である。

結局のところこの映画は、「大沢妙子という人物の行動は正当化し得るか?」という問いに帰結すると言っていいだろう。場面場面で妙子は、「そんなことして良いのか?」と感じるような行動を取る。妙子の行動は、「夫・二郎が許容しているのなら問題はない」と言える類いのものだ。別に法を犯しているわけでも、夫以外の誰かを不愉快にしているわけではない。二郎がOKならOKというわけだ。

二郎は、基本的に妙子の行動を許容する。彼は、「自分の好きな人がしていることだから」という理屈で、自分を納得させようとする。しかし、必ずしも納得できているわけではないということが、言動の端々から伝わってくる。ただ同時に、二郎には、「自分の父親が妙子を認めていないこと」を含む、いくつかの罪悪感めいたものを抱えている。だから、心の底からは納得できないが、仕方ないこととして受け入れるしかない、と考えているように思う。

そんな二郎の気持ちを理解しているのかは分からないが、妙子は、自分が信じる道を進んでいく。彼女が進む道の根底にあるのは、彼女がある場面で口にする「彼は弱い」という点だろう。「弱い彼の元には、私がいなければならない」という理屈である。

「共依存」というのは、「特定の相手との関係性に依存しすぎてしまう状態」のことを指す。例えば、DV被害を受ける女性が、「酷いことをされるけど、私がいなければこの人はダメになってしまう」と離れることができない状況などは「共依存」だと言える。妙子がパクに向ける視線や態度もまた、「共依存」と言っていいものに僕には感じられる。

妙子はある場面でパクに対し、「あなたがしてきたこと、全部痛かった」と言う。決して、元夫であるパクに対してプラスの感情を抱いているわけではないことが示唆される場面だ。しかし一方で、物語の端々から、そうではない感情も見て取れる。妙子にとってパクは、なんとも分類し難い存在であり、妙子自身もその整理がつけられないでいる。

しかしある時点から妙子は、「パクに寄り添うこと」を決断していく。そしてその姿は私には、「パクの支えになることによって、自分の存在価値を確かめる行為」に思えてしまった。

妙子はそれまでの過程で、様々な理由から「自身の存在価値」について自信が持てないでいた。普段優しい義母からも、「次はホントの孫を抱かせてね」とこっそり言われる。要するに、血が繋がった二郎との孫を、という意味だ。義父とは雪解けしたものの、その直前に聞きたくなかった本心を耳にしてしまう。また、女の勘で、二郎が隠しているのだろうこともなんとなく理解してしまう。

それらはすべて、「妙子の自己肯定感を下げるもの」でしかない。「自分は果たして存在価値があるのだろうか」と考えてしまうのも当然だろう。こんな場面もある。夫婦を悲劇が襲った後、ホームレス支援のNPOの活動に参加した際、気を遣った後輩が妙子がしている作業を代わりにやろうとする。しかし妙子は、後輩のその行動に苛立ちを露にし、「これは私がやる」というメッセージを発するのだ。恐らくだがこれも、「自分の居場所や存在価値が奪われることの恐怖」から来るものではないかと感じた。

そんな状況にいたからこそ、余計に妙子はパクとの関わりに執着するようになっていったのだろう。自分の存在が間違いなく重要であることを疑うことなく信じられるのが、その時の妙子にはパクの隣しかなかったのだ。

そして、それが理解できるからこそ、物語のラストの展開のやるせなさが非常に増幅することになる。この場面、本当に、適切な日本語を探すのが困難なぐらい、グチャッとドロっとした複雑な感情に襲われた。妙子の後ろ姿はあまりに寂しそうだったし、そのまま雨の中踊り続ける姿には苦しささえ覚えた。

この映画が面白いのは、役者が感情を表にする場面が少なく、その変化を理解しにくいという点だ。特に、二郎と妙子は感情の起伏が少ない。妙子は、突発的に感情的になることはあるものの、どちらも基本的に、何を考えているのかよく分からない平板な表情をしている。

だからこそ、僕にはあまりにも哀しく見えた妙子のそのシーンの後、彼女にどのような変化があったのか(あるいはなかったのか)は、明確には分からない。しかし、「共依存」から覚めたことは間違いないだろう。後は、二郎との関係をどうしていくのかだ。それは、映画のラストを観てもはっきりとは分からない。二郎も妙子も、表情だけ見ればそれまでとさほど変わらないように感じられるからだ。

僕の希望は、このような複雑な経験を経た者たちが、元通りにはならないにせよ、新たな形で、お互いにとって無理のない関係性を作り上げていってほしいと思う。別にそこに「夫婦」という名前が付く必要もない。2人にはもはや、2人の間でしか交換不可能な「傷」が無数についてしまっているのであり、他の誰かとその傷を共有するのは不可能に思える。お互いの存在が、お互いの傷を刺激し合う関係ではあるが、しかし、「そこに傷がある」ということを正しく認め合える唯一の関係でもあるはずだ。だから、そんな2人が、何らかの形で関係性が続いていく、そのことになんとなく希望を抱きたいと思った。

とにかく良い映画だったなぁ。後で調べたら、この監督、『淵に立つ』の監督なのだそうだ。『淵に立つ』も以前観て、なんか凄い衝撃を受けた記憶がある。作品のタイプはまったく違うが、『LOVE LIFE』もまた、違った意味で衝撃を与える凄まじい作品と言える。

『LOVE LIFE』は、矢野顕子の同名の曲からインスパイアされて生まれた曲だそうだ。よくもまあ、ある1つの曲から、ここまでの物語を構想できるものだと感心させられる。

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